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最後の審判と世の終わり 14

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14[2130]第二の主題、すなわち、天界の中に入れられるとき善い者の前に〔示される〕最後の審判の観念について、どのようであるか述べることが許されています――みことばの中に、もはや入れることができないために扉が閉ざされたこと、また、油が不足し、そしてさらに遅れてやって来たこと、またそれゆえ、入れられないことが言われ、それらによってもまた最後の審判の状態が意味されています〔本書の第二部 ⑾ 43―46参照〕。これらがどのようなものであり、またどのように理解すべきか私に示されました。

[2]私は、一つその後もう一つと霊たちの社会が、はっきりした声で、「オオカミが彼らを連れ去ることを欲したこと、しかし、主が彼らを取り出し、またこのように主により戻された」と言っているのを聞いた、それゆえ、心の最内部からうれしがった。というのは、扉が閉ざされ、また、入れられることができないように遅れてやってきたことから、絶望の中に、そのように恐れの中にいたから。このような考えが、彼らにオオカミと呼ばれる者から注ぎ込まれた、しかし、入れられることによって、すなわち、天使の社会により受け入れられることによって〔その考えは〕消えた。天界の中へ入ることは他のものでない。入ることは私に、十二までも社会を通って行なわれ、続いたように見られた、また十二〔番目の社会〕は、前の十一〔の社会〕よりも、入れられるのが、すなわち、受け入れられるのがさらに困難であった。その後、さらにまた、女性からのものであった八つのいわば社会に入れられたことが、私に知らされた――それらが見られて、この入れられること、すなわち、天界の社会の中に受け入れられることの過程は、そのように見え、このことが、順序で、一つの場所からもう一つの中へ続いている、なおまた、「天界は決して永遠に満たされない、まして扉は閉ざされない」と言われた。多くの者がやって来れば来るほどますます、それだけ天界の中に者に祝福と幸福があり、ここから一致が強くなるからである。
[3] 彼らが入れられた後で、その時、あたかも天界が閉ざされたかのように見えた。というのは、その後もまた入れられることを、すなわち、受け入られることを欲した多くの者がいたから。しかし、これから〔以後〕はできない、との答えが与えられた。そのことは「さらに遅れてやって来る者」、「閉ざされた扉」、「叩く者」によって、「彼らに明りの中の油が不足した」ことによって意味されている。彼らが入れられなかったことの理由は、そこに相互愛がある天使の社会の間にいることができるような準備がまだされていなかったからである、なぜなら、前の2119[3]番の終わりに言われたように、世の中で隣人に対する仁愛の中に生きた者は、徐々に天界の中へ主により上げられるからである。
[4]さらにまた、何が天界か、相互愛であることを知らなかった他の霊たちがいた。その者もまた、その時、単に入れられることであると思って、入れられることを欲した、しかし、彼らにまだその時でないこと、しかし、用意された他の時であるとの返事を受け取った――十二の社会が見られたことの理由は、「十二」は、前の2129[13]番の終わりに言われたように、信仰のすべてのものを意味するからである。