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最後の審判と世の終わり 第二部 63

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63 [5066] 右側からの彼らが、「主よ、いつ、私たちは飢えているあなたを見て、あなたに食べさせましたか。または渇いて、飲ませましたか。しかし、いつ、私たちは異国人として生活していたあなたを見て、迎え入れ、または裸であった〔あなたに〕着せましたか、しかし、いつ、私たちは、病んでいるあなたを、または牢の中であなたを見て、あなたにやって来たましたか」と答えたことは、もし彼らが主ご自身を見たなら、だれもがそれらの親切をします、しかし、その方に対する愛からでなく、しかし恐れから、主が全世界の審判者となられるので、その方のためでなく、しかし自分自身のために、そのように内的なものからでなく、すなわち、心からでなく、しかし、外的なものから、また振る舞いの中で行なったことを意味します。その者はこのことを、王に見られるために振る舞い、その恩恵に値されることを、偉大にまたは富んだ者になるために欲し、それゆえ、その王に向けて自分自身を服従させて振る舞います。外なる聖なる礼拝の中にいる者の場合も同様に振る舞います、その中でいわば主を見て、このように永遠のいのちを受けることを信じて、そしてその方に自分自身を服従させます、それでも何も仁愛を持っていません、自分自身のため以外に他の者に善も行ないません、そのように自分自身だけに行ないます。これらの者は、外なる形の中で大いなる崇敬で自分の王のご機嫌を伺います、それでも、心そのものではさげすむので王の命令をあざ笑う者と似ています。右側からの彼らがそのように答えたことによって、これらと類似のことが意味されます。外なる形の中で類似のことを悪い者もまた行なうので、それゆえ、左側からの者もほとんど同様に答えたのです。