最後の審判と世の終わり 第二部 56
56 [4956] 隣人に対する仁愛の本は、善と真理の情愛であり、自分自身が悪と虚偽であることの承認であり、実に、隣人は善と真理そのものです。これらに情愛を感じることが仁愛を持つことであり、隣人と正反対のものは悪と虚偽であり、これらを退ける者は仁愛を持ちます。そこで、隣人に対する仁愛を持つ者は、善と真理にそれが主からのものなので情愛を感じ、自分自身からのものなので悪と虚偽を退けます。このことを行なうとき、自分自身の承認から卑下の中にいます、また卑下の中にいるとき、主からの善と真理を受け入れる状態の中にいます。
これらが仁愛のものであり、内意では、それらを主の次のことばが含んでいます、
わたしが飢え、あなたがたはわたしに食べさせました。わたしが渇き、あなたがたはわたしに飲ませました。わたしが異国人として生活し、あなたがたはわたしを迎え入れました。裸であったとき、あなたがたはわたしに着せました。わたしが病んでいたとき、あなたがたはわたしを訪ねました。わたしが牢の中にいたとき、あなたがたはわたしにやって来ました。
これらのことばがそれらのことを含むことは、内意から以外に、だれも知ることができません。仁愛の教えの事柄を持っていた古代人は、これらを知っていました。しかし、今日では、「それらが内在する」と言われるなら怪しんでしまうほどに、これほどに遠く離れているように見えます。さらにまた、人間のもとの天使たちは、それらのことばをそのようにしか知覚しません。というのは、「飢えている者」によって情愛から善を望む者、「渇いている者」によって情愛から真理を望む者、「異国人として生活している者」によって教えられることを欲する者を、「裸である者」によって自分自身の中に善と真理が何もないことを認めている者、「病んでいる者」によって自分自身の中に悪でないなら何もないこと認めている者、「縛られている者」すなわち「牢の中にいる者」によって自分自身の中に虚偽でないなら何もないことを認めている者を知覚するからです――これらが一つの意味のものとされるなら、直前に言われたことを意味します。