最後の審判と世の終わり 第二部 68
68 [5071] 左側の者が、「呪われた者」と言われ、そして「その時、左側にいる者にもまた言います、『わたしから立ち去れ、呪われた者たち、悪魔とその使いたちに用意された永遠の火の中へ』」と、「これらの者は永遠の罰の中に入ります」と、彼らの罰が永遠の火と言われるのは、自分自身を善と真理から背かせ、悪と虚偽へ向けたからです。「呪い」は、みことばの内意の中で離反を意味します(245, 379, 1423, 3530, 3584番)。
彼らが行くことになる「永遠の火」は、四元素の火ではなく、良心の呵責でもなく、悪の欲望です。というのは、人間のもとの欲望は霊的な火であり、それが彼を身体のいのちの中で焼き尽くし、来世の中で苦しめるからです。それらの火から、地獄の者は(自分自身を)互いに恐ろしい方法で拷問にかけます。
[2]永遠の火が四元素の火でないことは明らかです。良心の呵責でないことは、悪の中にいるすべての者は何も良心を持たないからです、また、いのちが身体の中にあるとき何も良心を持たなかった者は、来世の中で何も持つことができないからです。しかし、欲望であることは、生命のすべての火は人間のもとの愛からであるからです、天界の火は善と真理の愛から、地獄の火は悪と虚偽の愛から、すなわち、同じことですが、天界の火は主への愛と隣人に対する愛から、地獄の火は自己愛と世俗愛からです。人間の中の内部にあるすべての火、すなわち、熱がここからであることは、それぞれの者が注意するなら、知ることができます――ここからもまた、愛が霊的な熱と言われ、みことばの中の火と熱によって他のものは意味されません(934番以降、1297, 1527, 1528, 1861, 2446, 4906番)。
悪い者のもとのいのちの火は欲望の猛烈さの中にいるときのようなものです、さらにまたある種の〔いわば〕火の中にいて、その火から他の者を苦しめる熱望と激怒の中にいます。しかし、善い者のもとのいのちの火は高い段階の情愛の中にいるときのようなものです、さらにまたある種のいわば火の中にいて、その火から他の者に善を行なおうとする愛と熱意の中にいます。