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結婚愛〔教えの部〕

結婚愛について知恵の歓喜

〔一〕天界の結婚について 27–41
(1)死後、人間は人間として生きる 28–31
(2)その時、男性は男性であり、女性は女性である 32, 33
(3)死後、それぞれの者のもとに自分の愛が残る 34–36
(4)特に、性愛が残る。地上で霊的であって、天界にやって来る者のもとに、結婚愛が残る 37, 38
(5)これらは個人的な観察によって十分に確証される 39
(6)したがって、結婚が天界にある 40
(7)復活の後に婚姻が存在しないという主のことばによって霊的な婚姻が意味される 41

〔二〕夫婦の死後の状態について 45–54
(1)死後、すべての人間のもとに性愛が残る、彼の内なるものであった、すなわち、世で彼の内的なものの中の意志と思考であったような性愛である 46, 47a
(2)結婚愛も同様に残る、人間のもとの内なるものであった、すなわち、世で彼の内的なものの中の意志と思考にあったような結婚愛である 48a
(3)大部分の夫婦のふたりは、死後、出会い、互いに認め、再び、仲間となり、ある期間、一緒に生活する。このことが最初の状態の中で、したがって外なる状態の中にいる時、世でのように生じる 47b
(4)しかし、しだいに、外なるものを出る、そして自分の内なるものの中に入ることに応じて、自分たちに向けて相互にあった自分たち自身の間の愛と性向を、またここから、一緒に生活することができるか、あるいはできないか、知覚する 48b
(5)一緒に生活することができるなら、夫婦は続く。しかし、できないなら、お互いに、ある時は男が妻から、ある時は妻が男から、またある時は両者が相互に分かれる 49
(6)その時、男に似合いの妻が、そして同様に女に似合いの夫が与えられる 50
(7)夫婦は、互いに世の交わりと似た交わりを享受する、しかし、さらに快い、さらに祝福されたものである。けれども、子孫を産むことはなく、それに対してすなわちその代わりに、愛と知恵の霊的な子孫を産むことがある 51, 52
(8)天界の中にやって来る者はそのようになる。けれども、地獄にやって来る者は異なる 53, 54

〔三〕真の結婚愛について 57–73
(1)真の結婚愛が存在する。それは、どんなものであるか、存在することも、ほとんど知られていないために、今日、これほどにまれである 58, 59
(2)その愛の起源は善と真理の結合からである 60, 61
(3)その愛は主と教会の結婚に対応する 62, 63
(4)その愛は、その起源と対応から、天界の天使と教会の人間のもとにある主からのすべての愛よりも、天的なもの・霊的なもの・聖なるもの・純粋なもの・清潔なものである 64
(5)天的なまた霊的な、ここから自然的なすべての愛の根本的な愛でもある 65–67
(6)そして、すべての楽しさとすべての歓喜が最初から最初までその愛の中に集められている 68, 69
(7)しかし、主に近づき、そして教会の真理を愛し、その善を行なう者しかその愛の中にやって来ない、その中にいることもできない 70–72
(8)この愛は金・銀・銅の時代に生きた古代人のもとの愛の愛であった 73

〔四〕善と真理の結婚からの結婚愛の起源について 83–102
(1)善と真理は創造の普遍的なものであり、ここから、創造されたすべてのものの中にある。しかし、創造された主体の中に、それぞれの形にしたがって存在する 84–86
(2)孤立した善は存在しない、孤立した真理も存在しない、どこでも結合している 87
(3)善の真理が存在し、これから真理の善が存在する、すなわち、善からの真理が存在し、そしてその真理からの善が存在する。それらの二つのものに創造から一つのものへの性向が、それら自体を結合させるために植え付けられている 88, 89
(4)動物界の主体の中で、善の真理すなわち善からの真理は男性であり、それからの善の真理すなわちその真理からの善は女性である 90, 91
(5)主からの善と真理の結婚の流入から、性愛があり、結婚愛がある 92, 93
(6)性愛は、外なる人すなわち自然的な人のものであり、ここからこれはすべての動物に共通である 94
(7)しかし、結婚愛は、内なる人すなわち霊的な人のものである 95, 96
(8)宝石がその母岩の中にあるように、人間のもとで、結婚愛は性愛の中にある 97
(9)人間のもとの性愛は結婚愛の起源ではなく、その最初のものである、したがって、外なる自然的なもののようであり、それに内なる霊的なものが植え付けられている 98
(10)結婚愛が植え付けられている時、性愛は逆転し、貞潔な性愛になる 99
(11)男と女は善と真理の結婚の形そのものであるために創造された 100
(12)ふたりの夫婦は、その最内部の中で、またここからそれらから続くものの中で、彼らの心の内的なものが開かれているほど、その形である 101, 102

〔五〕主と教会の結婚について、その対応について 116–131
(1)主はみことばの中で「花婿」や「夫」、教会は「花嫁」や「妻」と言われ、教会との主の結合、主との教会の相互の結合は「結婚」と言われる 117
(2)なおまた、主は「父」、教会は「母」と言われる 118, 119
(3)「夫」や「父」としての主からの、また「妻」や「母」としての教会からの子孫は、すべての霊的なものであり、みことばの霊的な意味で、「息子や娘」、「兄弟や姉妹」、「婿や嫁」、また一族に属す他の名前によって呼ばれるものである 120
(4)教会との主の結婚から生まれる霊的な子孫は、真理であり、それらから理解力・知覚・すべての思考がある。また善であり、それらから愛・仁愛・すべての情愛がある 121
(5)主から発出し、流入する善と真理の結婚から、人間は真理を受け、主はこれを善に結合される、こうして教会は主により人間のもとで形作られる 122–124
(6)夫は主を、妻は教会を表象しない、夫と妻の両者が一緒に教会をつくるからである 125
(7)それゆえ、天界の天使と地上の人間の結婚の中に、主との夫の対応、教会との妻の対応はない 126
(8)しかし、結婚愛・受精・生殖・幼児への愛との対応、また結婚とそれらから存在するものの中の類似のものとの対応がある 127
(9)みことばは、主からであり、こうして主であるので、結合の手段である 128
(10)教会は、主からであり、その方に近づき、その方の戒めにしたがって生きる者のもとにある 129
(11)結婚愛は、人間のもとの知恵の状態にしたがっているので、教会の状態にしたがっている 130
(12)また、教会は主からであるので、結婚愛もその方からである 131

〔六〕貞潔な者と不貞な者について 138–156a
(1)貞潔と不貞は結婚と結婚に属すようなものについて述べられる 139, 140
(2) 貞潔は一夫一婦の結婚、すなわち、ひとりの夫とひとりの妻の結婚についてだけ述べられる 141
(3)キリスト教徒の結婚にだけ貞潔が存在する 142
(4)真の結婚愛は貞潔そのものである 143
(5)真の結婚愛のすべての歓喜は、最終的なものも貞潔である 144
(6)主により霊的になっている者の結婚愛は、ますます清められ、貞潔になる 145, 146
(7)結婚の貞潔は宗教による淫行の全面的な除去によって生じる 147–149
(8)貞潔は、幼児について、少年や少女についても、そして自分のもとに性愛を感じる前の青年や娘についても述べられることができない 150
(9)貞潔は生まれつき去勢されていた者や去勢された男について述べられることができない 151a
(10)貞潔は、姦淫を宗教の悪であると信じない者について、さらにまして姦淫を社会の害であると信じない者について述べられることができない 152a
(11)貞潔は単に外なるいろいろな原因のために姦淫を慎む者について述べられることができない 153a
(12)貞潔は結婚が不貞であると信じている者について述べられることができない 154a
(13)貞潔は、終生の独身を誓って結婚を放棄した者について、彼らの中に真の結婚生活への愛がなく、残存しないなら、述べられることができない 155a
(14)結婚の状態は独身の状態よりも優先されるべきである 156a

〔七〕もはや二つではなく、一つの肉であるという主のことばによって意味される  結婚による霊魂の結合と心の結合について 156b–181
(1)創造から両方の性に能力と性向が、一つのものとして結合されることができるように、欲するように植え付けられている 157
(2)結婚愛は、二つの霊魂を、ここから心を一つのものへ結合する 158
(3)妻の意志はそれ自体を男(夫)の理解力に、ここから男(夫)の理解力は妻の意志に結合する 159
(4)妻のもとに男(夫)を自分自身に結合させるための性向が変わらずに、永続的にある、しかし男(夫)のもとに一定でなく、交替的である 160
(5) 妻から彼女の愛にしたがって、男(夫)に結合が吹き込まれ、彼の知恵にしたがって男(夫)により受け入れられる 161
(6) その結合は結婚の最初の日々から連続的に行なわれる。真の結婚愛にいる者のもとで永遠に深くまた深く行なわれる 162
(7) 夫の理性的な知恵との妻の結合は内部から、しかしその道徳的な知恵との妻の結合は外部から行なわれる 163–165
(8) 目的としてのその結合のために、妻に夫の情愛を知覚することが、そしてまた抑制する最高度の思慮分別が与えられている 166
(9)妻はこの知覚を自分自身のもとにたくわえ、夫から隠している、結婚愛・友情・信頼のために、このように同棲の至福と生活の幸福が確実にされるために必要品であるという理由のためである 167
(10) この知覚は妻の知恵である。これは男(夫)のもとにありえない、男(夫)の理性的な知恵も妻のもとにありえない 168
(11) 妻は、男(夫)を自分自身に彼を結合させるつもりで、自分に向けられる彼の性向について、常に考えている 169
(12) 妻は、男(夫)の意志の願望に向けて適応させて、自分自身を男(夫)に結合する 170
(13) 妻は、自分の愛から出るいのちのスフェアによって、自分の男(夫)に結合される 171
(14)妻は、男のその力を自分のものにすることによって夫に結合される。しかし、このことは彼らの霊的な相互愛にしたがって生じる 172
(15) このように、妻は自分の夫の映像を自分自身の中に受け入れ、ここから知覚し、彼の情愛を見、感じる 173
(16) 男(夫)に固有の本分があり、妻に固有の本分がある。妻は男(夫)の固有の本分に、男(夫)も妻に固有の本分に入ることができず、それらを正しく果たすことができない 174, 175
(17) それらの本分もまた相互の助けにしたがって、ふたりをひとりに結合する。同時に一つの家をつくる 176
(18) 夫婦は前に言われた結合にしたがって、ますますひとりの人間になる 177
(19) 真の結婚愛にいる者は、自分自身を結ばれた人間に、一つの肉のように感じる 178
(20) 本質的に眺められた真の結婚愛は、霊魂の合体、心(mens)の結合であり、胸の中のまたここから身体の中の結合へ向かう活動(努力)である 179
(21) この愛の状態は、無垢・平和・静けさ・最内部の友情・完全な信頼、そして他の者にすべての善を行なうとする心(cor)の相互の願望である。それらのすべての至福・幸せ・快さ・快楽から、またこれらの永遠の享受から、天界の幸福がある 180
(22) これらは、ひとりの妻とひとりの男(夫)の結婚の中でないなら、決して存在することができない 181

〔八〕結婚による男と女のもとのいのちの状態の変化について 184–206
(1) 人間のいのちの状態は幼児期からいのちの終わりまで、またその後、永遠に、絶えず変えられる 185
(2) 同様に、彼の霊である内なる形は変えられる 186
(3) これらの変化は、男が創造から知識・知性・知恵の形であり、女は男のもとのそれらの愛の形であるので、男と女のもとで異なる 187
(4) 男のもとにすぐれた光の中への心の高揚があり、女のもとにすぐれた熱の中への心の高揚がある。女は男の光の中で自分の熱の歓喜を感じる 188, 189
(5) 男と女のいのちの状態は、結婚前と結婚後で異なる 190
(6)夫婦のもとの結婚後のいのちの状態は、結婚愛による彼らの心の結合にしたがって変えられ、続く 191
(7) 結婚は〔夫婦の〕霊魂と心に他の形もまたひき起こす 192
(8) 「創造の書」の記述にしたがって、女は実際に男の妻として形作られている 193
(9) その形成は妻により秘密の方法で行なわれる、このことは男が眠っているときに女が創造されたことによって意味される 194
(10) その形成は妻により、夫の内なる意志と自分の意志の結合によって行なわれる 195
(11) 両方の意志が一つに、こうして両者がひとりの人間になる目的のためである 196
(12) その形成は、夫の情愛を自分のものとすることによって行なわれる 197
(13) その形成は、自分の夫の知恵が愛であることを欲することから生じる歓喜とともに、夫の霊魂の繁殖の受け入れによって行なわれる 198
(14) このように、娘は妻として、若者は夫として形作られる 199
(15) ひとりの妻とのひとりの男の結婚の中で、彼らの間に真の結婚愛があり、妻はますます妻に、夫はますます夫になる 200
(16) そのようにまた、彼らの形は連続的に内部から完成させられ、気高くされる 201
(17) 真の結婚愛にいるふたりから生まれる子は、両親から善と真理の結婚のものを得、そのことから彼らに、息子なら知恵に属すものを受け入れることへ向けて、娘なら知恵が教えるそれらを愛することへ向けて、性向と能力がある 202–205
(18) 子の霊魂は父から、そのまとうものは母からであるので、そのようになる 206

〔九〕結婚について普遍的なもの 209–230
(1) 結婚愛の固有の感覚は触覚である 210
(2) 真の結婚愛にいる者のもとで賢明になる能力は増大する。しかし、これは結婚愛にいない者のもとで減少する 211, 212
(3) 真の結婚愛にいる者のもとで一緒に住む幸せは増大する。しかし、これは結婚愛にいない者のもとで減少する 213
(4)真の結婚愛にいる者のもとで心の結合は友情とともに増大する。しかし、結婚愛にいない者のもとで友情は心の結合とともに減少する 214
(5)真の結婚愛にいる者はひとりの人間であることを絶えず欲する。しかし、結婚愛にいない者はふたりであることを欲する 215
(6)真の結婚愛にいる者は結婚の中に永遠を眺める。けれども、結婚愛にいない者はそうではない 216a
(7) 結婚愛は貞潔な妻のもとに住む。しかし、その愛は夫に依存している 216b
(8) 男(夫)が結婚のきずなを愛するかぎり、妻はそれを愛する 217
(9) 女性の知性は本質的に控えめな・優雅な・穏やかな・従順な・柔らかい・繊細なものである。しかし、男の知性は本質的にきびしく・荒い・固い・勇敢な・自由気ままを愛するものである 218
(10) 妻は男(夫)のように決して興奮の中にいない。しかし、妻に受け入れに向けて準備の状態がある 219
(11) 男(夫)に、自分の知恵の真理を繁殖させる愛にしたがって、役立ちを行なう愛にしたがって、能力がある 220
(12) 決定は夫の意のままにある 221
(13) 結婚のスフェアがあり、それは主から天界を通って全世界のすべてと個々のものの中へ、その最終的なものにまでも流入する 222
(14) このスフェアは女性により受け入れられ、これを通して男性へ移される 223
(15) 結婚愛があるところに、このスフェアは妻により、もっぱら妻を通して、夫により受け入れられる 224
(16) 結婚愛がないところに、そのスフェアは確かに妻により受け入れられるが、妻を通して夫により受け入れられない 225
(17) 真の結婚愛は、夫婦からの一方の者のもとに存在し、同時にもう一方の者のもとに存在しないことができる 226
(18) 夫婦のもとに、内なるものも外なるものも、似ているいろいろなものと似ていないいろいろなものがある 227
(19) 似ているいろいろなものは結合されることができるが、似ていないものとはできない 228
(20) 真の結婚愛を望む者に、主は似ているものを備えられる。もし地上で与えられないなら、それを天界で備えられる 229
(21) 結婚愛の不足や失うことにしたがって、人間は獣の性質に近づく 230

〔十〕結婚での、冷淡・分離・離婚の原因について 234–260
(1) 霊的な熱があり、霊的な冷淡がある。霊的な熱は愛であり、霊的な冷淡はその剥奪である 235
(2) 結婚での霊的な冷淡は、霊魂の分裂、心の分離である。ここから無関心・不和・軽蔑・嫌悪・反感がある。それらから、最後に多くの者のもとで、寝床・部屋・家に関して分離がある 236
(3)冷淡の原因は、その連続の中で多くのものがあり、あるものは内なるもの、あるものは外なるもの、あるものは偶発的なものである 237
(4)冷淡の内なる原因は宗教からである 238, 239
(5)冷淡の内なる原因の最初のものは、両者による宗教の拒絶である 240
(6)冷淡の内なる原因の第二のものは、一方の者に宗教があり、もう一方の者にないことである 241
(7)冷淡の内なる原因の第三のものは、一方の者にある宗教があり、もう一方の者に他の宗教があることである 242
(8)冷淡の内なる原因の第四のものは、教え込まれた宗教の虚偽である 243
(9)前述の原因は冷淡の内なる原因である。しかし、多くの者のもとで同時に外なるものではない 244, 245
(10)冷淡の外なる原因にも多くのものがある。それらの最初のものは気質と作法の相違である 246
(11)冷淡の外なる原因の第二のものは、結婚愛が淫行愛と一つであり、単に前者は法律から許される、けれども、後者は許されない、と信じられることである 247
(12)冷淡の外なる原因の第三のものは、夫婦の間で卓越を張り合うことである 248
(13)冷淡の外なる原因の第四のものは、何らかの関心または商売への決心が何もないことであり、それから放浪性の欲望がある 249
(14)冷淡の外なる原因の第五のものは、外なるものでの状態や境遇の不釣り合いである 250
(15)分離の原因もいくつかある 251
(16) 分離の正当な原因の最初のものは、心の疾患である 252
(17) 分離の正当な原因の第二のものは、身体の疾患である 253
(18) 分離の正当な原因の第三のものは、結婚以前の(性的)不能である 254
(19)姦淫は離婚の原因である 255
(20)冷淡の偶発的な原因にも多くのものがある。これらの最初のものは、常に許されることから平凡なものになっていることである 256
(21)冷淡の偶発的な原因の第二のものは、夫婦にとって同棲が自由ではなく、契約と法律からの強制に見られることである 257
(22)冷淡の偶発的な原因の第三のものは、妻による主張と愛についての談話である 258
(23)冷淡の偶発的な原因の第四のものは、夫が妻について昼夜に〔妻が〕欲していると考え、また逆に、妻が夫について〔夫が〕欲していないと考えることである 259
(24) 心の中に冷淡があるように、身体の中にもある。前者の冷淡の増加にしたがって、身体の外なるものも閉ざされる 260

〔十一〕結婚での、みせかけの愛・友情・好意の原因について 271–292
(1) 自然界では、ほとんどすべての者が外なる情愛に関して結合されることができる、しかし、これらが不一致であり、現われるなら、内なる情愛に関して結合されることができない 272
(2) 霊界では、すべての者は内なる情愛にしたがって結合される、けれども、これらが内なる情愛と一緒に働かないなら外なる情愛にしたがって結合されない 273
(3) 外なる情愛があり、それらにしたがって、世で、一般に結婚生活が結ばれる 274
(4) しかし、心を結合させる内なる情愛が内在しないなら、結婚生活は家の中で損なわれる 275
(5) それでも結婚生活は世で、いのちの終わりまで両方の者に持続されなければならない 276
(6) 内なる情愛が結合していない結婚生活の中に、内なるものを偽り装い、仲間となっている外なる情愛が存在する 277
(7) ここから、夫婦の間に、見せかけの愛・見せかけの友情・好意がある 278
(8) これらの見せかけは結婚の模倣であり、それらは役に立ち、必要なものであるので称賛に値する 279
(9) 自然的な人と結合した霊的な人のもとで、結婚のこれらの模倣は、公正と思慮分別からの賢明なものである 280
(10) 自然的な人のもとで、これらの結婚の模倣は、いろいろな原因のために、思慮分別からの賢明なものである 281
(11) 改善のためであり、調整のためである 282
(12) 家庭の事柄で秩序を維持するためであり、相互の助けのためである 283
(13) 幼児の世話のためであり、子どもに対して一致するためである 284
(14) 家の中の平和のためである 285
(15) 家の外の評判のためである 286
(16) 配偶者からまたはその親類から期待されるいろいろな好意のためであり、このようにそれらを失う恐れのためである 287
(17)汚点の弁解とここからの悪評の回避のためである 288
(18)和解のためである 289
(19) 年取った時、男(夫)のもとの能力が終わる時、妻の好意が終わらないなら、結婚を模倣している友情が生じることができる 290
(20)夫婦の間に、一方が服従し、ここからもう一方が服従させるいろいろな種類の見せかけの愛と友情が存在する 291
(21)世では、内的に最も和解しにくい敵であり、外的に最も結合した友のようである夫婦の間に、地獄的な結婚が存在する 292

〔十二〕婚約と結婚式について 295–314
(1) 選択は男にあり、女にない 296
(2) 男は自分の結婚について女に求愛し、懇願するべきであり、逆ではない 297
(3)同意する前に、女は両親に、または両親に代わる者に相談し、その後、自分自身のもとで熟慮すべきである 298, 299
(4) 同意の宣言の後、〔約束の〕しるしが与えられなければならない 300
(5)同意は厳粛な婚約によって確かにされ、確定されなければならない 301
(6)婚約によって両者は結婚愛へ向けて準備される 302
(7)身体の結婚が行なわれる前に霊の結婚が生じるために、婚約によって一つの心はもう一つの心に結合される 303
(8) 結婚について貞潔に考える者にそのように生じる。それらについて不貞に考える者は異なる 304
(9) 婚約の期間内で身体的に結合されることは許されない 305
(10) 婚約の期間の終わった後、結婚式が行なわれなければならない 306
(11) 結婚式の祝賀の前に、証人の臨席のもとに結婚の契約が結ばれなければならない 307
(12) 結婚は聖職者により神聖なものとされなければならない 308
(13) 結婚式はお祭り気分で祝われなければならない 309
(14) 結婚式の後、霊の結婚もまた身体のものに、このように完全なものになる 310
(15) 結婚愛の秩序はその様式とともに、その最初の熱からその最初のたいまつへ向けて、このようなものである 311
(16)秩序とこの様式がない急がされた結婚愛は、髄を焼き尽くされ、滅ぼされる 312
(17)両者の心の状態は連続的な秩序の中で進み、結婚の状態の中へ流入する。しかしながら、霊的な者と自然的な者のもとで異なる 313
(18)連続的な秩序と同時的な秩序が存在し、前者から後者があり、前者にしたがっているからである 314

〔十三〕再婚について 317–325
(1) 配偶者の死後、再び結婚生活を結ぶことは、先行している結婚愛にかかっている 318
(2) 配偶者の死後、再び結婚生活を結ぶことは、その中で生きた結婚の状態にもかかっている 319
(3) 真の結婚愛がなかった者たちに、再び結婚生活を結ぶのは、何も妨げがなく、害がない 320
(4) 互いに真の結婚愛に生きた者は、結婚愛から分離した原因のためでないなら、再び結婚を欲しない 321
(5) 処女と若者の結婚の状態は、やもめと若者の結婚の状態と別ものである 322
(6) 処女と男やもめの結婚の状態も、やもめと男やもめの結婚の状態と別ものである 323
(7) これらの結婚の変化と多様性は、愛とその属性に関して、すべての数を超えている 324
(8) やもめの状態は男やもめの状態よりも重苦しい 325

〔十四〕一夫多妻について 332–352
(1) ひとりの妻とでないなら真の結婚愛は存在することができない、したがって、真の結婚の友情・信頼・能力、また二つのものが一つの肉であるような心の結合もない 333、334
(2) ひとりの妻とでないなら、初めから真の結婚愛にいる者に備えられているような天的な至福、霊的な幸せ、自然的な快感の状態は存在することができない 335
(3) それらのすべてのものは、主おひとりからでないなら存在することができない。また、その方だけに近づき、その方の戒めにしたがって生きる者にしか与えられない 336
(4) したがって、真の結婚愛は、キリスト教会に属す者のもとでないなら存在することができない 337
(5) ここから、キリスト教徒は、ひとりの妻をめとるのでないなら許されない 338
(6) キリスト教徒は、多くの妻をめとるなら、自然的な姦淫だけでなく、霊的な姦淫も犯す 339
(7) イスラエル民族に多くの妻をめとることが許されたのは、その民族のもとにキリスト教会がなかった、ここから真の結婚愛もありえなかったからである 340
(8) 今日、イスラム教徒に多くの妻をめとることが許されているのは、〝主イエス・キリストが父なる神と一つであり、このように天地の神として〟認められていない、ここから真の結婚愛を受けることができないからである 341
(9) イスラム教徒の天界がキリスト教徒の外にあり、それは低いものと高いものの二つの天界に分割されている。めかけを退け、ひとりの妻と生活し、天地の支配が与えられている私たちの主を父なる神と等しい方と認める者しか彼らの高い天界に上げられない 342–344
(10) 一夫多妻は好色である 345
(11) 一夫多妻の者のもとに、結婚の貞潔・純潔・神聖さはありえない 346
(12) 一夫多妻の者は、一夫多妻の者にとどまるかぎり、霊的なものになることができない 347
(13) 一夫多妻は、それが宗教から存在する者のもとで罪ではない 348
(14) 一夫多妻は、主について無知の中にいる者のもとで罪ではない 349, 350
(15) たとえ一夫多妻者でも、神を認め、宗教から公正な民法にしたがって生きる者は救われる 351
(16)しかし、これらの者からのだれもキリスト教の天界の天使と仲間になることはできない 352

〔十五〕嫉妬について 357–379
(1) 本質的に見られた熱意は燃える愛の火のようである 358
(2) 熱意であるその愛の燃えることまたは炎は、愛からの悩ますことや攻撃から起こる霊的な燃えることまたは炎である 359–361
(3) 人間の愛がどのようなものであるかによって、善の愛がある者に、また悪の愛がある者に、そのような熱意がある 362
(4) 善の愛の熱意と悪の愛の熱意は外なるものの中で互いに似ている、しかし、内なるものの中でまったく違っている 363, 364
(5) 善の愛の熱意はその内なるものの中に愛と友情を隠している、悪の愛の熱意はその内なるものの中に憎しみと復讐を隠している 365, 366
(6) 結婚愛の熱意は嫉妬と呼ばれる 367
(7) 嫉妬は、配偶者の愛を悩ましているものに対する燃える火のようであり、その愛が奪われることに対する身震いする恐れのようである 368
(8) 一夫一婦の者に霊的な嫉妬があり、一夫多妻の者に自然的な嫉妬がある 369, 370
(9) 互いにやさしく愛する夫婦の嫉妬は、結婚愛が分裂され、こうして滅びないようにとの健全な理性からの正しい悲しみである 371,  372
(10)互いに愛していない夫婦のもとに、多くの原因のために嫉妬があり、ある者のもとで、心のいろいろな病気からである 373–375
(11) ある者に何も嫉妬がない、このこともいろいろな原因からである 376
(12) めかけに対する嫉妬もあるが、このようなものは妻に対するようなものではない 377
(13)嫉妬は獣にも鳥にもある 378
(14)男や夫にある嫉妬と女や妻にある嫉妬は異なる 379

〔十六〕幼児への愛と結婚愛の結合について 385–414
(1)全世界を創造された状態に保つために、主から二つの普遍的なスフェアが発出している。それらの一つは産むスフェアであり、そしてもう一つは産んだものを守るスフェアである 386
(2)それらの二つの普遍的なスフェアは、結婚愛のスフェアと、幼児への愛のスフェアと一のものとなっている 387
(3)それらの二つのスフェアは、全般的にまた特定的に、最初のものから最後のものまで、天界のすべてのものの中へまた世のすべてのものの中へ流入している 388–390
(4)幼児への愛のスフェアは、自分自身を守り、支えることができない者を守り、支えるスフェアである 391
(5)このスフェアは、悪い者にも善い者にも働きかけ、そしてそれぞれの者を、自己の愛から自分の子を愛し、守り、支えるために制御している 392
(6) このスフェアは、特に女性に、そのように母に働きかけ、彼女たちから男性または父に働きかけている 393
(7) このスフェアは無垢と平和のスフェアでもある 394
(8)無垢のスフェアは、幼児の中へ、また彼を通して両親の中へ流入し、働きかけている 395
(9)両親の霊魂の中へも流入し、それ自体を幼児のもとの同じスフェアに結合させ、特に触覚によって徐々にしみ込んでいる 396, 397
(10) 幼児のもとの無垢が去る段階の中で、それだけますます、情愛と結合も、徐々に分離へまでも弱められる 398
(11) 幼児に対する両親のもとの無垢と平和の理性的な状態は、〔幼児が〕自分自身からでは何も知らず、できない、しかし、他の者から、特に父と母から知り、できることである。その状態は、他の者からでなく自分自身から知り、できるようになるに応じて徐々に去る 399
(12) 発出する愛のスフェアは、順に目的から原因を通して結果へ前進し、そして周期をつくり、それによって創造は先見されたものと備えられたものの状態に保たれる 400, 401
(13) 幼児への愛は下降し、上昇しない 402
(14) 妊娠前とその後の出産までとで、妻にとって愛の状態は異なっている 403
(15) 霊的な原因とここから自然的な原因によって、結婚愛は両親のもとで幼児への愛と結合されている 404
(16)幼児への愛や子どもへの愛は、霊的な夫婦と自然的な夫婦のもとで別ものである 405–407
(17)霊的な者のもとで、その愛は内的なまたは前のものからある、けれども、自然的な者のもとで、外的なものまたは後ろのものからある 408
(18) その愛が相互に愛する夫婦のもとにも、互いにまったく愛さない夫婦のもとにもあるのはここからである 409
(19) 幼児への愛は、死後、特に女のもとに残る 410
(20) 幼児は主の導きのもとで彼女たちによって教育され、そして世でのように背丈と知性が増大する 411
(21) そこでは、彼らのもとで幼児の無垢が知恵の無垢になるように、主により備えられている 413, 414

淫行愛について狂気の快楽

〔十七〕淫行愛と結婚愛の対立について 423–443
(1) 結婚愛がどんなものであるか知られないなら、淫行愛がどんなものか知られない 424
(2) 淫行愛は結婚愛に対立している 425
(3)淫行愛は、本質的に見られた自然的な人が霊的な人に対立しているように、結婚愛に対立している 426
(4) 淫行愛は、悪と虚偽のつがいが善と真理の結婚に対立しているように、結婚愛に対立している 427, 428
(5) ここから淫行愛は、地獄が天界に対立しているように、結婚愛に対立している 429
(6) 地獄の不潔は淫行愛からである、天界の清潔は結婚愛からである 430
(7)教会の中の不潔なものも、そこの清潔なものと同様である 431
(8)淫行愛は人間をますます人間でなく、男を男でなくする、結婚愛は人間をますます人間とし、男とする 432、433
(9)淫行愛のスフェアがあり、結婚愛のスフェアがある 434
(10)淫行愛のスフェアは地獄から上り、結婚愛のスフェアは天界から降る 435
(11)それら二つのスフェア自体は両方の世界で出会う、しかし互いに結合しない 436
(12)それら二つのスフェアの間に均衡があり、人間はその中にいる 437
(13)人間はそのスフェアへ好むままに自分自身を向けることができる、しかしどれだけ一方へ向けるかによって、それだけもう一方から背く 438
(14)両方のスフェアはそれ自体に快感をもたらす 439
(15)淫行愛の快感は肉から始まり、霊の中でも肉のものである。しかし、結婚愛の快感は霊の中で始まり、肉の中でも霊のものである 440, 441
(16) 淫行愛の快感は狂気の快楽である。結婚愛の快感は知恵の歓喜である 442, 443

〔十八〕私通について 444b–460
(1)私通は性愛に属す 445
(2)性愛は、これから私通があり、青年が自己の理解力から考えることと行動することを始め、そしてその話す声が男らしいものになり始めるとき、始まる 446
(3)私通は自然的な人に属す 447
(4)私通は情欲である、しかし、姦淫への情欲ではない 448, 449
(5)性愛は全面的に抑制されることができない、むしろ、ある者のもとで害なしに私通の中へ出て行く 450
(6)それゆえ、人口の多い都市で売春宿は許容されている 451
(7)結婚愛を目指し、これを優先させるほど、私通は軽いものである 452
(8)姦淫を目指すほど、私通しようとする情欲は重いものである 453
(9)多様なものへの欲望へ、処女凌辱への欲望へ向かうほど、私通しようとする情欲はさらに重いものである 454
(10)私通しようとする情欲のスフェアは、始まりの中で、淫行愛のスフェアと結婚愛のスフェアの間の中央にあり、均衡をつくるようなものである 455
(11)結婚愛が無秩序で抑制されていない私通によって滅ぼされないように用心しなければならない 456
(12)ひとりの妻とひとりの男(夫)の結婚のものは、人間の生活の宝、キリスト教の宝庫であるからである 457, 458
(13) いろいろな理由のためにまだ結婚に入ることができない、また肉欲のために情欲を抑えることができない者のもとのこの結婚のものは、性愛がひとりの愛人に限られるなら、保たれることができる 459
(14)愛人を持つことは、多くの者と、処女すなわち害われていない女とも、そして結婚した女とも結ばれず、そして結婚愛から分離して保たれるかぎり放浪性の情欲にまさる 460

〔十九〕めかけ囲いについて 462–476
(1)二種類のめかけ囲いがあり、それら自体の間に大いなる相違がある。一つは妻と一緒のもの、もう一つは妻から離れたものである 463
(2)妻と一緒のめかけ囲いは、キリスト教徒に許されない、嫌悪すべきものである 464
(3)これは一夫多妻であり、キリスト教界から断罪され、断罪されるべきである 465
(4)これは淫行であり、それによってキリスト教徒生活の宝である結婚のものは失われる 466
(5)妻から離れためかけ囲いは、適法な・正当な・真に重大な原因から行なわれるとき、許されないものではない 467
(6)このめかけ囲いの適法な原因は、妻がそれでもなお家に保有される時、離婚の適法な原因である 468, 469
(7)このめかけ囲いの正当な原因は、寝床からの分離の正当な原因である 470
(8)このめかけ囲いの重大な原因は、ほんとうであるし、ほんとうでない 471
(9)正当な原因からの、ほんとうの重大な原因がある 472, 473
(10)たとえ外観から正当な原因であっても、正当でなく、ほんとうではない重大な原因がある 474
(11)適法な・正当な・重大なほんとうの原因から、このめかけ囲いにいる者は、結婚愛にいることができる 475
(12) このめかけ囲いが続く間、妻との実際の結合は許されない 476

〔二十〕姦淫とそれらの種類と段階について 478–499
(1)三種類の姦淫がある、単一のもの・二重のもの・三重のものである 479
(2)単一の姦淫は、他の妻との独身の男のもの、または他の夫との未婚の女のものである 480, 481
(3)二重の姦淫は、他の者の妻との夫のもの、または逆のものである 482, 483
(4)三重の姦淫は、血縁の者とである 484
(5)姦淫に四つの段階があり、それらにしたがって、それらの属性の割り当て・譴責・死後の転嫁が行なわれる 485
(6)第一段階の姦淫は無知の姦淫であり、それらはまだ理解力に諮ることが、またここからそれらを抑えることができない者により行なわれる 486
(7)これらの者により行なわれた姦淫は穏やかである 487
(8)第二段階の姦淫は情欲の姦淫であり、それは確かに理解力に諮ることができる、しかし、それらの瞬間の偶発的な原因のために諮ることができない者により行なわれる 488
(9)これらの者により行なわれた姦淫は、その後、理解力によりそれらが賛同されるかあるいは賛同されないことに応じて、罪を帰すことができる 489
(10)第三段階の姦淫は理性の姦淫であり、それらは罪の悪でないことを理解力で確信する者により行なわれる 490
(11)これらの者により行なわれた姦淫は、確信にしたがって、きびしい 491
(12)第四段階の姦淫は意志の姦淫であり、それらについて理解力に諮るに値いするほどのものではなく、それを許されたものや喜ばしいものとする者により行なわれる 492
(13)これらの者により行なわれた姦淫は最もきびしい、そして意図された悪として彼らに転嫁され、そして罪あるものとして居座る 493
(14)第三と第四段階の姦淫は、行為で行なわれたにしろ行為で行なわれなかったにしろ、それらの中の理解力と意志の量と質によって、罪の悪である 494
(15)意志の意図からの姦淫と理解力の確信からの姦淫は、人間を自然的・感覚的・身体的にする 495, 496
(16)このことは、最後には教会と宗教のすべてのものを自分自身から退けるほどのものになる 497
(17)それでも、人間の推理力が、他の者と同じく、授けられている 498
(18)しかし、外なるものの中にいる時、その推理力を用いるが、自分の内なるものの中にいる時、誤用する 499

〔二十一〕処女凌辱への情欲について 501–505
(1)処女、すなわち、損なわれていない女の結婚前と結婚後の状態について 502
(2)処女性は貞潔の冠であり、結婚愛のしるしである 503
(3)結婚の目的なしの処女凌辱は略奪者の破廉恥な行為である 504
(4)処女凌辱への情欲が罪の悪でないことを自分自身に確信した者の運命は、死後、きびしい 505

〔二十二〕多様なものへの情欲について 506–510
(1)多様なものへの情欲によってまったく放埓な淫行への情欲が意味される 507
(2)その情欲は愛と同時に性に対する嫌悪である 508
(3)その情欲は自分自身のもとの結婚愛をまったく絶滅させる 509
(4)死後の彼らの運命は、彼らに内なるいのちがないので、悲惨である 510

〔二十三〕強姦への情欲について 511, 512

〔二十四〕無垢な者を惑わす情欲について 513, 514

〔二十五〕霊的な結婚への性的暴行と淫行の対応について 515–520

〔二十六〕 淫行愛と結婚愛の両方の愛の転嫁について 525–531
(1)死後、悪の中にいるそれぞれの者に、その悪が転嫁される。善も同様である 524
(2)ある者の善が他の者に転移するのは不可能である 525
(3)転嫁は、それによってこのような転移が意味されるなら、むだな言葉である 526
(4)それぞれの者の悪が彼の意志がどんなものかにしたがって、彼の理解力がどんなものかにしたがって転嫁される 527–529
(5)このようにそれぞれの者に淫行愛が転嫁される 530
(6)このようにそれぞれの者に結婚愛が転嫁される 531