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神の愛と知恵

目 次

訳者まえがき

第一部
愛は人間のいのちである 1
神おひとりが、したがって主が、いのちそのものであるので、愛そのものであられ、天使と人間はいのちを受け入れるものである 4
神性は空間の中に存在しない 7
神は人間そのものであられる 11
神人間の中でエッセとエキシステレは区別のある一つのものである 14
神人間の中で無限なものは区別のある一つのものである 17
唯一の神人間が存在し、そこからすべてのものがある 23
神的な本そのものは愛と知恵である 28
神的な愛は神的な知恵のものであり、神的な知恵は神的な愛のものである 34
神的な愛と神的な知恵は、実体であり、形である 40
神的な愛と神的な知恵は、本的に実体と形であり、したがって本と唯一のものである 44
神的な愛と神的な知恵は、それ自体から創造された他のものの中に存在し、存在するようになるしかありえない 47
全世界のすべてのものは、神人間の神的な愛と神的な知恵により創造された 52
創造された全世界のすべてのものは、神人間の神的な愛と神的な知恵を受け入れるものである 55
創造されたすべてのものは、ある種の映像として人間を映し出している 61
創造されたすべてのものの役立ちは、最後のものから人間へ、また人間を通って、それらのもとである創造なる神へ、段階によって上昇している 65
神性は空間なしに全世界のすべての空間に満ちている 69
神性は時間なしにすべての時間の中に存在する 73
神性は最大のものと最小のものの中で同じである 77

第二部
神的な愛と神的な知恵は、霊界で太陽として見られる 83
神的な愛と神的な知恵から存在する太陽から熱と光が発出する 89
その太陽は神ではなく、神人間の神的な愛と神的な知恵から発出するものであり、その太陽からの熱と光も同様である 93
霊的な熱と光は、太陽としての主からの発出により、神的な愛と神的な知恵そのものが一つとなっているように、一つとなっている 99
霊界の太陽は、人間から見られる自然界の太陽のように、天使から遠く離れた中間の高さに見える 103
霊界の太陽と天使の間の距離は、彼らによる神的な愛と神的な知恵の受け入れにしたがった外観である 108
天使は主の中にいる、主は彼らの中におられる。天使は受け入れるものなので、主おひとりが天界であられる 113
霊界の東は、主が太陽として見られるところであり、ここから他の方位がある 119
霊界の方位は太陽としての主からではなく、天使による受け入れにしたがっている 124
天使は自分の顔を常に太陽としての主に向けている。このように右に南、左に北、背後に西がある 129
天使の心も身体も、内的なすべてのものは、太陽としての主へ向いている 135
それぞれの霊は、どのようなものであっても同様に自分を支配する愛へ向いている 140
太陽としての主から発出する神的な愛と神的な知恵は、天界の熱と光をつくり、発出する神性であり、聖霊である 146
主は、神的な愛と神的な知恵が最初に発出するものである太陽によって、全世界とそのすべてのものを創造された 151
自然界の太陽は、純粋な火であり、ここから死んでおり、自然は、その太陽から起源を導いているので、死んだものである 157
一つは生き、もう一つは死んでいる二つの太陽なしに、創造は存在しない 163
創造の目的は、すべてのものが創造者に戻り、結合があるようにと、最後のものの中に存在するようになることである 167

第三部
霊界に、自然界のように大気、水、地がある。しかし、前者は霊的である、けれども後者は自然的である 173
愛と知恵の段階があり、ここから熱と光の段階が、なおまた大気の段階がある 179
二種類の段階、高さの段階と幅の段階がある 184
高さの段階は同であり、目的・原因・結果のように、あるものは他のものから連続している 189
最初の段階は、続く段階のすべてのものの中のすべてのものである 195
すべての完全性は、段階とともに、段階にしたがって、増大し、のぼる 199
連続的な秩序の中で最初の段階は最高の段階となり、第三の段階は最も低い段階となる。しかし、同時的な秩序の中で最初の段階は最内部となり、第三の段階は最外部となる 205
最後の段階は、前の段階の合成物、容器、基礎である 209
高さの段階は、その最後の段階の中で完全なもの、力あるものになっている 217
創造された最大と最小のすべてのものの中に両方の種類の段階が存在する 222
主の中で高さの三つの段階は無限であり、創造されたものではなく、人間の中で三つの段階は有限であり、創造されたものである 230
高さのこれらの三つの段階は、それぞれの人間の中に出生からあり、継続的に開かれることができ、開かれるに応じて、人間は主の中にいる、主は彼の中におられる 236
霊的な光は三つの段階を通って人間のもとに流入するが、霊的な熱は人間が悪を罪として避けて主に目を向けないかぎり流入しない 242
人間は、彼のもとの霊的であるさらに高い段階が開かれないなら、自然的で感覚的になる 248
(1) 自然的な人間とは何か、霊的な人間とは何か 251
(2) 霊的な段階が開かれている自然的な人間はどんなものであるか 252
(3) 霊的な段階が開かれていないが、それでも閉ざされていない自然的な人間はどんなものであるか 253
(4) 霊的な段階が完全に閉ざされている自然的な人間はどんなものであるか 254
(5) まったく自然的な人間のいのちと獣のいのちの間の相違はどんなものであるか 255
本的に眺められた人間の心の自然的な段階は連続しているが、高揚される時、二つの高い段階と対応によって分離しているように見える 256
人間の自然的な心は、人間の高い段階の心のおおいであり、容器であるので、反応するものである。高い段階が開かれないなら、それらに反して働く。しかし、開かれるなら、それらとともに働く 260
悪の起源は、人間に固有のものである推理力と自由と呼ばれる能力の悪用からである 264
(1) 善い人間と等しく、悪い人間にも、それらの二つの能力が授けられている 266
(2) 悪い人間はそれらを悪と虚偽を確信するために悪用し、善い人間はそれらを善と真理を確信するために用いる 267
(3) 人間のもとで確信された悪と虚偽は存続し、彼の愛のものと生活のものになる 268
(4) 愛とここから生活のものになったそれらのものは、子孫に伝えられる 269
(5) すべての悪とそこからの虚偽は、伝えられたものもさらに加えられたものも、自然的な心の中に住んでいる 270
悪と虚偽は悪魔と地獄のもの、善と真理は神性と天界のものであるので、悪と虚偽は善と真理に対立するすべてのものの中にある 271
(1) 悪とそこからの虚偽の中にある自然的な心は、地獄の形と映像である 273
(2) 地獄の形と映像である自然的な心は、三つの段階を通って下る 274
(3) 地獄の形と映像である自然的な心の三つの段階は、天界の形と映像である霊的な心の三つの段階と対立している 275
(4) 地獄である自然的な心は、天界である霊的な心に逆らって対立するすべてのものの中にある 276
自然的な心の三つの段階のすべてのものは、身体の行動によってなされる行為に含まれている 277

第四部
エホバであられる永遠からの主は、全世界とそのすべてのものを無からでなく、ご自分から創造された 282
永遠からの主は、すなわち、エホバは、人間でないなら、全世界とそのすべてのものを創造することはおできならなかった 285
永遠からの主は、すなわち、エホバは、ご自分から霊界の太陽を生み出され、その太陽から全世界とそのすべてのものを創造された 290
主の中に主である三つのもの、愛の神的なもの、知恵の神的なもの、役立ちの神的なものがある。それらの三つのものは、霊界の太陽の外に、熱によって愛の神的なもの、光によって知恵の神的なもの、容器である大気によって役立ちの神的なものが、これらの外観の中に示されている 296
霊界と自然界の両方の世界の中に三つある大気は、地にあるような実体と物の中に、その最後のものの中に終わる 302
地が存在するもとである実体と物の中に、神性は本的に何も存在しないが、それでも、それらは神性から本的に存在する 305
創造の目的であるすべての役立ちは、形の中にあり、形を地にあるような実体と物から得ている 307
(1) 地の中に、形の中の役立ちを、すなわち、役立ちの形を生み出すコナトゥス(努力)がある 310
(2) 役立ちのすべての形の中に全世界の創造のある種の映像がある 313
(3) 役立ちのすべての形の中に人間のある種の映像がある 317
(4) 役立ちのすべての形の中に「無限なる者」と「永遠なる者」のある種の映像がある 318
役立ちから見られた創造された全世界のすべてのものは、人間の映像の中に映し出されており、そのことは神が人間であることを証ししている 319
主により創造されたすべてのものは役立ちである。その秩序、段階、関連の中に役立ちがあり、その役立ちにより人間に関係し、人間を通してそれらが存在するもとであられる主に関係する 327
身体を維持するための役立ち 331
理性を完成するための役立ち 332
主から霊的なものを受け入れるための役立ち 333
悪い役立ちは、主により創造されなかったが、地獄と一緒に生じた 336
(1) 地上の悪の役立ちによって何が意味されるか 338
(2) 悪の役立ちであるすべてのものは地獄の中にあり、善の役立ちであるすべてのものは天界の中にある 339
(3) 霊界から自然界の中へ絶え間のない流入がある 340
(4) 地獄からの流入が悪の役立ちに働きかけ、その場所にそれらに対応するものがある 341
(5) 高い霊的ものから分離された最も低い霊的なものが、そのことを働きかける 345
(6) 二つの形、植物の形と動物の形があり、流入によってそれらの中への働きが生ずる 346
(7) 両方の形は、存在するようになる時、繁殖の手段を受ける 347
創造された全世界の中に見られるものは、自然が何も生み出さなかったし、何も生み出さないことを、しかし、神性がそれ自体から、また霊界を通して、すべてのものを生み出すことを証ししている 349

第五部
主により意志と理解力と呼ばれるその方の二つの容器と住まいが、その方の神的な愛のために意志が、その方の神的な知恵のために理解力が、人間のもとに創造され、形作られている 358
愛と知恵の容器である意志と理解力は、脳の中に、その全体とそれぞれの部分の中にあり、ここから身体の中に、その全体とそれぞれの部分の中にある 362
(1) 愛と知恵は、ここから意志と理解力は、人間のいのちそのものをつくる 363
(2) 人間のいのちは、その源では脳の中にあり、また派生したものの中では身体の中にある 365
(3) いのちが源でどのようなものであるかによって、全体の中でも、またそれぞれの部分の中でも、そのようなものである 366
(4) いのちは、その源を通して、それぞれの部分から全体の中に、全体からそれぞれの部分の中にある 367
(5) 愛がどのようなものであるかによって、知恵もそのようなものであり、ここから人間はそのようなものである 368
心臓と意志の対応があり、肺と理解力の対応がある 371
(1) 心のすべてのものは意志と理解力に、身体のすべてのものは心臓と肺に関係する 372
(2) 意志と理解力は心臓と肺に対応し、ここから心のすべてのものは身体のすべてのものと対応する 374
(3) 意志は心臓と対応する 378
(4) 理解力は肺と対応する 382
(5) その対応によって、意志と理解力について、したがって愛と知恵についても、多くのアルカナを明らかにすることができる 385
(6) 人間の心は霊であり、霊は人間である。身体は、それによって心が、すなわち、霊が、その世界の中で感じ、活動する外なるものである 386
(7) 人間の霊が身体と結合するのは、意志と理解力が心臓と肺に対応することに、分離するのは対応がないことによっている 390
意志と心臓の対応から、肺と理解力の対応から、意志と理解力について、したがって人間の霊魂について知ることのできるすべてのことを知ることができる 394
(1) 愛または意志は人間のいのちそのものである 399
(2) 愛または意志は、人間の形の中へ、また人間の形であるすべてのものの中へ絶えず向かっている 400
(3) 愛または意志は、知恵または理解力との結婚がなくては、その人間の形によって何もすることができない 401
(4) 愛または意志は、知恵または理解力である来たるべき配偶者のために家または部屋を準備する 402
(5) 愛または意志は、知恵または理解力と結合して働くことができるために、すべてのものをその人間的な形の中に準備する 403
(6) 結婚が行なわれたとき、知ろうとする情愛を通して最初の結合があり、そこから真理の情愛がある 404
(7) 理解しようとする情愛を通して第二の結合があり、そこから真理の知覚がある 404
(8) 真理を見ようとする情愛を通して第三の結合があり、そこから思考がある 404
(9) 愛または意志は、これらの三つの結合を通して、その感覚的ないのちの中に、またその活動的ないのちの中にある 406
(10) 愛または意志は、知恵または理解力を自分の家のすべてのものの中へ導き入れる 408
(11) 愛または意志は、知恵または理解力との結合の中にないなら、何も行なわない 409
(12) 愛または意志は、自分を知恵または理解力に結合させ、そして知恵または理解力が相互に結合されるようにする 410
(13) 知恵または理解力は、それ自体に与えられた能力から愛により高揚され、そして天界からの光のものを受け、そしてそれらを知覚することができる 413
(14) 愛または意志は、その配偶者をその段階の中で愛するなら、同様に高揚され、そして天界からの熱のものを知覚することができる 414
(15) そうでなければ、愛または意志は、それ自体と一つとして働くように、知恵または理解力をその高揚から引き戻す 416
(16) 愛または意志は、一緒に高揚されるなら、理解力の中で清められる 419
(17) 愛または意志は、一緒に高揚されないなら、理解力の中で、また理解力から汚される 421
(18) 理解力の中で知恵により清められた愛は、霊的に、また天的になる 422
(19) 理解力の中で、また理解力から汚された愛は、自然的に、また感覚的になる 424
(20) それでも、理性と呼ばれる理解する能力と自由と呼ばれる行動する能力は残る 425
(21) 霊的な愛と天的な愛は、隣人に対する愛と主への愛である。自然的な愛と感覚的な愛は、世俗愛と自己愛である 426
(22) 仁愛と信仰は、またそれらの結合は、意志と理解力と、またこれらの結合と同様である 427
妊娠による人間の最初の段階はどんなものであるか 432

 

(数字はページ数でなく、段落に付けられた通し番号です)