カテゴリー

霊魂と身体の交流 11

10◀︎目次▶︎12

9人間が衣服を着るように、霊的なものは自然的なものを着ている

11.  すべての作用の中に能動的なものと受動的なものがあり、能動的なものだけからは何も存在しないし、受動的なものだけからも何も存在しないことが知られています。霊的なものと自然的なものも同様です、霊的なものは生きた力なので能動的であり、そして自然的なものは死んだ力なので受動的です。ここから、この太陽の世界の中に最初から存在するようになり、その後すべての時間に存在するようになるどんなものであっても、霊的なものから自然的なものによって存在することがいえます。またこのことは動物界の対象だけでなく、植物界の対象にもいえます。
[2]これと同様なものもまた知られています、生ずるすべてのものの中に主要なものと手段となるものがあることです、そしてこれら二つのものは、何かが生じる時、一つのように見られますが、それでも区別された二つのものです。それゆえ、主要な原因と手段となる原因が同時に一つの原因をなすこともまた知恵の規範(canon)のうちにあります。霊的なものと自然的なものもまたこのようです。これらの二つが生ずるものの中で一つのものとして見られることは、繊維が筋肉の内部にあるように、また血液が動脈の内部にあるように、または話すことの内部に思考が、また声の中に情愛があるように、霊的なものが自然的なものの内部にあり、そして自然的なものによってそれ自体を感じさせるからです。しかし依然として、格子の仕切りを通して〔見る〕かのようであって、人間が衣服を着るように、霊的なものが自然的なものを着ていることは明らかです。
[3]霊魂が着る有機体の身体は、衣服になぞらえられます、それをおおい、そしてまた霊魂はそれを脱ぎ、死によって自然界からそれ自体の霊界に移住するとき、それをぬけがらのようにそれ自体から捨てるからです。さらにまた身体は衣服のように老います、けれども霊魂は老いません、これは霊的な実体であって、それは、始まりから終わりまで進み、そして周期的に終わりになる自然の変化と共通なものを何も持たないからです。
[4]身体を衣服あるいは着物として、それ自体は死んだものであって、神から霊魂を通して流入してくる生きた力を受け入れるのに適合するだけのものであると見なさない者は、霊魂はそれ自体から、身体はそれ自体から生きていること、またその二つのもののいのちの間に予定された調和があるという欺きから結論することしかできません。霊魂のいのちが身体のいのちに、あるいは、身体のいのちが霊魂のいのちに流入すること、このように霊的な流入、あるいは、自然的な流入を心に抱きます。その時それでも、創造されたすべてのものから、〝後のもの〟はそれ自体からではなく〝前のもの〟から、それにより活動し、そのようにこれもまたそれ自体からでなく、さらに〝前のもの〟から〔活動する〕こと、このようにご自分から活動される方から、〝最初の者〟から、そのように神からでないなら何ものでもないという〝真理〟が明らかです――さらに、いのちは唯一のものであり、これは創造されることのできないものですが、受け入れに適合する有機体の形の中へ最大限に流入することのできるものです。全世界の中の被造物のすべてと個々のものはこのような形です。
[5]霊魂がいのちであること、このように人間は、自分の霊魂から生きているので、いのちから生きており、そのように自分から、したがって神からのいのちの流入によらないで生きている、と多くの者により信じられています。しかし、これらの者は欺きからある種のゴルディオスの結び目をつくることしかできません、そして自分の心のすべての判断をそれにもつれさせることから、霊的なものの狂気そのものとなるか、または迷路を造ってしまい、そこから心は何らかの理性の糸によって道を巡り返ること、抜け出ることが決してできません。実際に、彼らは地下の洞穴のようなものの中へと降りて行き、そこで永遠の暗やみの中で暮らします。
[6]なぜなら、ここから無数の欺きが生まれ、一つ一つが恐ろしいものであるからです。例えば、神(Deus)はご自分を人間の中に注ぎ移し、転写されたこと、そこからそれぞれの人間は何らかの神(Numen)であること、自分自身から生きていること、このように自分自身から善を行ない、賢明であることです。
同様に、信仰と仁愛を自分自身の中に所有し、このように神からでなく、自分自身から、それらを取り出すこと、ほかにも、世にいた時、自然が生きていること、または自分の活動がいのちを生むことを信じていた地獄にいる者たちにあるような憎むべきことです。これらの者は、天界を眺める時、その光を暗黒そのものとして見ます。
[7]かつて私は天界から、「もし人間の中のいのちの火花が彼のものであり、彼の中に神のものがないなら、天界も、そこに何ものもなく、またここから地上に何らかの教会、またそこから永遠のいのちはない」と語る声を聞きました。
これらの事柄についてより多くのことは、『結婚愛』についての著作に挿入したメモラビリアの132から136番に諮るとよいでしょう〔これは『真のキリスト教』48番に再録されている〕。