霊魂と身体の交流 17
15 目的は第一の段階に、原因は第二の段階に、結果は第三の段階にある
17. 目的は、原因でなく原因を生むこと、原因は、結果でなく結果を生むこと、したがって順々に続く区別された三つのものであることをだれか見ませんか?
人間の目的は彼の意志の愛です、なぜなら、人間は愛するものを自分自身の前に置き、意図するからです。彼の原因は、彼の理解力からの理性です、なぜなら、目的はそれによって中間の原因を、すなわち、有効である原因を探し求めるからです。そして結果はそれらから、またそれらにしたがった身体の活動です。そのように人間の中に三つのものがあります、それらは高さの段階が続くのと同様に順々に続きます――それらの三つのものがもたらされる時、目的は内部に原因の中に、そして目的は原因によって結果の中にあり、それゆえ、それらの三つのものは結果の中に同時に存在します――そこから、みことばの中で述べられていること、「それぞれの者は彼の働きにしたがって裁かれる」〔黙示録 20・13〕と言われています、というのは、目的、すなわち、彼の意志からの愛は、そして原因、すなわち、彼の理解力からの理性は、彼の身体の働きである結果に、同時に内在するからです。人間の全部の性質がそのようです。
[2]これらのことを知らず、理性の対象をこのように区別しない者は、自分の思考の観念を、エピクロスの原子論の中に、またはライプニッツの単子(モナド)論の中に、またはヴォルフの単一実体論の中に制限することしかできません、このように自分の理解力をかんぬきで閉じ込めるようにし、霊的な流入について理性から考えることすらできません。何らかの前進について考えることができないからです。なぜなら、単一実体について、その著者が、「分割されたそれは無の中に落ち込む」と言っているからです。このように理解力は、まったく身体の感覚からのものである自分の最初の光の中にとどまるので、それ以上の段階に前進しません。
ここから、「霊的なものは自然的なものの希薄なものである」、なおまた、「理性的なものは人間にあるように動物にもまたある」、「霊魂は空気の息であり、死ぬ時に胸から吐き出されるようなものである」としか知りません。さらに多くのことを知っていますが、それらは光ではなく、暗黒に属するものです。
[3]霊界のすべてのものと自然界のすべてのものはこれらの段階にしたがって出てくるので、前章の中で述べられたように、それらの段階を知ることと分類すること、そして秩序の中で見ることが真の知性であることが明らかです。すべての人間がどのようなものであるかもまた、彼の愛が知られる時、それらの段階によって知られます、なぜなら、述べられたように、意志に属する〝目的〟、そして理解力に属する〝原因〟、そして身体に属する〝結果〟は、種から木、木から果実が続くように、彼の〝愛〟から続いているからです。
[4]三種類の愛があります、天界への愛・世への愛・自己への愛です。天界への愛は霊的であり、世への愛は物質的であり、そして自己への愛は形体的です。愛が霊的である時、それから続くすべてのものは、形がそれ自体の本質からのものであるように、霊的であるものを得ます。同様に、主要な愛が世または富に属し、このように物質的であるなら、それから続くすべてのものもまた、最初の原理から導かれたものがその原理からのものであるように、物質的であるものを得ます。同じく、主要な愛が自己への愛、すなわち、他のすべての者よりも卓越しようとする愛であり、このように身体的であるなら、それから続くすべてのものは、身体的であるものを得ます。その理由は、この愛にいる人間は自分自身だけを眺め、このように自分の心の思考を身体の中に浸すからです。そのために、すぐ前に述べられたように、ある者の支配愛を知り、同時に目的から原因へ、原因から結果へ、これらの三つが順々に高さの段階にしたがって進行して続いていることを知る者は、その人間全体を知ります――そのように天界の天使は、それぞれの者を、彼と話す時、知ります。話し声から彼の愛を知覚し、顔から彼の心象〔心に浮かぶイメージ〕を、また身体の振る舞いから彼の形(姿)を見ます。