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生活の教え 6

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6 これらはラテン語で次のものです――

聖餐をあずかるのにふさわしい者となるための方法であり、手段であるものは――
最初のものは、神の戒めを基準として、自分の生活の行為と交際を調べることである。意志または話しあるいは行動のどんなものの中であれ、違反していることに気づくなら、その時、自分の性質の欠点を悔やんで、生活を改善しようとする十分な意図とともに、それを全能の神の前に告白をしなければならない。
また、神に反しているだけでなく、隣人にもまた反しているような罪に気づいたなら、その時、彼と和解し、自分の力のかぎり、すぐにも他の者に行なった損害と悪のためのつぐないと謝罪をしなくてはならない。同様に、自分の罪が神から赦されることを望むように、すぐにも他の者に罪を赦すようにしなければならない――さもないと、聖餐を受けることは断罪を重くすることにしかならない。
それゆえ、もしあなたがたのだれかが神を冒涜する、その方のみことばをそしるか侮辱する、または姦淫する、あるいは悪意またはねたみの中に、または何らかの他の憎むべき罪悪の中にいるなら、罪からの悔い改めを行なえ。そうしないなら、聖餐に近づいてはならない。さもないと、聖餐を受けた後、悪魔がユダに入ったように、あなたの中に入ってきて、あなたをすべての不法で満たし、身体と霊魂を滅ぼすであろう。