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生活の教え 17

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17 何らかの善である善を、だれも自分自身からは行なうことができないことを、主は「ヨハネ福音書」で教えられています――

人は天から与えられるのでなければ、何も受け取ることができません(3・27)。

また同書に、

わたしの中にとどまり、わたしもその人の中にとどまる者は、多くの実を結びます。わたしなしにあなたがたは何もすることができないからです(15・5)。

「わたしの中にとどまり、わたしもその人の中にとどまる者は、多くの実を結ぶ」は、すべての善は主からのものであることです。「実」は善です――「わたしなしにあなたがたは何もすることができない」は、だれもそれを自分自身から行なうことができないことです。

主を信じ、その方から善を行なう者は、〔次のように〕呼ばれています、
光の子たち(ヨハネ12・36、ルカ16・8)、
婚礼の子たち(マルコ2・19)
復活の子たち(ルカ20・36)、
神の子たち(ルカ20・36。ヨハネ1・2)、
神から生まれた(ヨハネ1・3)。
彼らは神を見る(マタイ5・8)、
主は彼らのもとに住まいをつくられる(ヨハネ14・23)、
神の信仰を持つ(マルコ11・22)、
彼らの行ないは神からなされる(ヨハネ3・21)。

これらのことは、次のことばの中に要約されています――

イエスは、「その方の名を信じて受け入れたと同数の者に神の子となる力を与えられた。その者は、血からでもなく、肉の意志からでもなく、人の意志からでもなく、神から生まれたのである」(ヨハネ1・12、13)
「神の子の名を信じること」は、みことばを信じ、それにしたがって生きることです。「肉の意志」は、人間の意志のプロプリウムであり、それは本質的に悪です。「血の意志」は、その理解力のプロプリウムであり、それは本質的に悪からの虚偽です。「それらから生まれた」者は、プロプリウムから意志し、行ない、そして考え、話す者です。「神から生まれた」者は、主からそれらを行なう者です――要するに、人間からのものは善ではなく、善であるものは主からのものです。