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生活の教え 57

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57 その律法は、人間との主の結合であり、主との人間の結合であるので、契約と証しと呼ばれます。結合するので契約と呼ばれ、証言するので証しと呼ばれます。なぜなら、「契約」は結合を、そして「証し」はその証人となることを意味するからです。
それゆえ、その板は、一つは主のために、もう一つは人間のために、二つありました。
結合は主により行なわれます。しかしそれは人間がその板に書かれていることを行なう時です。
というのは、主は絶えず臨在され、働かれ、そして入ることを望まれていますが、人間は、主からのものである自分の自由から、開けなくてはならないからです。なぜなら〔次のように〕言われているからです、

見よ、わたしは戸に立ち、たたく。だれかが、わたしの声を聞き、戸を開けるなら、わたしは彼のところへ入り、彼とともに食事をし、彼もわたしと食事をする(黙示録3・20)。