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生活の教え 63

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63「だれも律法を成就することができない。その律法とは殺さない・姦淫しない・盗まない・偽りの証言をしないことである」という宗教が強くなりました。
これらの律法を市民的で道徳的な人は、それぞれ市民的で道徳的な生活から成就することができます。しかしその宗教は、それらを霊的な生活から成就できることを否定します。
このことから、それらを行なわないのは、ただ世での罰と損失を避けるためであり、世を去った後の罰と損失を避けるためではないことがいえます――ここから、前述の宗教に強く影響された人間は、それらが神の前に許され、世の前に許されない、と考えてしまいます。
[2]自分のその宗教から、この考えのために、その人間はすべてのそれらの悪への欲望の中にいて、それらを行なわないのは、ただ世のためにだけです。それゆえ、このような人間は、死後、〔この世で〕殺人・姦淫・盗み・偽証を犯していなくても、それでも、それらを行なうことを熱望し、そしてまた、世で持った外なるものが彼から取り去られるとき、行ないます。
すべての欲望は、死後も、人間に残っています。
このことから、このような者は、地獄と一つとして働き、地獄にいる者と運命をともにせざるをえません。
[3]しかし殺すこと、姦淫し、盗み、偽証することは神に反するので、それらを行なうことを欲さない者の運命は別です――彼らは、それらに対する何らかの闘争の後、それらを欲せず、そのようにそれらを行なうことを望みません。自分の心の中で、罪であり、本質的に地獄のもの、悪魔のものである、と言います――これらの者は、死後、世のために持った外なるものが、彼らから取り去られるとき、天界と一つとして働きます。主の中にいるので、天界へやって来ます。