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生活の教え 74

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(9) だれかがすべての種類の姦淫を罪として避ければ避けるほど、それだけ貞潔を愛する

74 十戒の第六の戒めの「姦淫を犯すこと」によって、自然的な意味では単に淫行することだけでなく、わいせつなことを行なうこと、みだらなことを話すこと、汚れたことを考えることもまた意味されます。
けれども、霊的な意味では「姦淫を犯すこと」によって、みことばの善を不純化することとその真理を虚偽化することが意味されます。
そして、最高の意味では「姦淫を犯すこと」によって主の神性を否定し、みことばを冒涜することが意味されます。
すべての種類の姦淫とはこれらです。
自然的な人は、「姦淫を犯すこと」によって、わいせつなことを行なうこと、みだらなことを話すこと、また汚れたことを考えることもまた意味されることを理性的な光(lumen)から知ることができます。しかし「姦淫を犯すこと」よって、みことばの善を不純化すること、その真理を虚偽化することもまた意味されることを、さらにまた、主の神性を否定すること、みことばを冒涜することが意味されることを知ません。ここから、姦淫が悪魔のものそのものと呼ばれることができるほどの悪であることも知りません。というのは、自然的な姦淫の中にいる者は、霊的な姦淫の中にもまたいるから。そしてその逆も言えます。
このようであることは、特別な小著『結婚について』の中で示されるでしょう。
しかし姦淫を信仰と生活から罪としない者は、同時にすべての種類の姦淫の中にいます。