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白い馬について 4

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4 「戦車」や「馬」がこのようなものを意味したことは、古代教会の中で極めてよく知られていました。その教会は表象的な教会であり、その教会の者たちに、「対応」と「表象」の知識は主要な知識であったからです。これらの教会から、馬の意味は、それは理解力であり、周辺の賢者へ、さらにまたギリシアにまで伝えられました。ここから、太陽を描くとき、そこに彼らの知恵と知性の神を置いて、それに戦車と四頭の火の馬を与えるようになりました。また「海の神」を描いたとき、「海」によって理解力からの知識が意味されるので、彼らはまた「馬」も与えました。また「理解力からの知識」の源を述べたとき、彼らは翼のある馬を案出しました。その馬はひづめで泉を破り開け、そこには知識である九人の処女がいました。なぜなら、古代教会から、馬によって理解力が、翼によって霊的な真理が、ひづめによって理解力からの知識が、また泉によって教えが意味され、そこから知識を得ることが知られていたからです。「トロイアの馬」によって、城壁を破壊するための彼らの理解力からの「人為的なもの」以外の他のものは意味されません。
今日、確かに、古代人に受け入れられた彼らの様式から、飛ぶ馬、すなわち、ペーガソスによって理解力が述べられ、泉によって教えが、また処女によって知識が述べられる習慣です、しかし、馬が神秘的な意味で理解力を意味することを知っている者はほとんどいませんし、これらの表意的なものが古代の表象的教会から異邦人に伝えられたことを知っている者はさらにいません。