続 最後の審判について 23
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(2)最後の審判の前の「しるし」と「視察」について
自分自身に天界のようなものをつくった者の上にもや のようなものが見られました。そのことは、彼らの上の天使の天界の中に主の臨在から、特に、最も低い天界の中にその方の臨在から見られ、彼らからのだれかが〔彼らの間の〕結合のために取り去られ、一緒に滅びないためでした。
さらに上の天界もまたさらに近く、彼らのもとに運び下ろされ、そのことによって審判がやって来ようとしていた者の内的なものが開かれました――それらが暴露されて、もはや前のような道徳的なキリスト教徒のように見えず、悪鬼のように見られました。彼らは乱れ騒ぎ、自分たちの間で、神・主・みことば・信仰・教会について言い争いました――その時、悪への欲望もまた自由の中に送り出されたので、それらのすべてのものを軽蔑とあざけりとともに退け、すべての種類の邪悪な行為の中に突進しました。
そのようにその天界の住民の状態は変えられました。
その時、同時に、世の中で知られていない技術によって自分たちにつくった彼らのすべての光り輝くものは消え、彼らの宮殿は卑しい小屋に、庭園は池に、神殿はがれきに、そして彼らがそれらの上に住んだ丘そのものは岩の山に、また彼らの邪悪な心と欲望に対応している他の似たものに変えられました。
なぜなら、霊界で見えるすべてのものは、霊と天使たちのもとにある情愛に対応するものであるから。
これらが、審判がやって来るしるしでした。