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新しいエルサレムとその天界の教え 126

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126 けれども、世の放棄については――世を放棄し、肉でなく霊に生きることは、特に富裕と名誉である世俗的なものを追い返すことであり、絶えず、神について、救いについて、永遠のいのちについて敬虔な瞑想にふけることであり、祈りと、みことばと宗教書を読む生活を送ることであり、また自分自身をしばりつけることであると多くの者から信じられています――しかし、これは世を放棄することではありません。真に世を放棄することは、神を愛し、隣人を愛することです。そして〔人が〕神の戒めにしたがって生きるとき、神は愛され、人間が役立ちを実践するとき、隣人は愛されます。それゆえ、人間は天界の光を受け入れるためには必ず、世に、そこの職務と仕事に生きなくてはなりません。世のものから引き離された生活は、愛と仁愛の生活から分離した思考と信仰の生活であり、その生活の中では善の意志と隣人に善を行なうことは滅んでしまいます。そしてこれが滅ぶ時、霊的な生活は、土台のない家のようなものになり、段々と沈むか、あるいは裂け目が生じるかまたは開くか、あるいは崩れるまで揺れるかします。