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新しいエルサレムとその天界の教え 269

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269 神的な摂理について世俗的なものから考える者は、それら〔世俗的なもの〕から摂理は単に全般的なものであって、個々のことは人間のもとにあると結論します。しかし、彼らは天界のアルカナを知りません。というのは、彼らは自己と世への愛と彼らの快楽だけから結論するからです。それゆえ、彼らは悪い者が善い者よりも名誉を高められ、富をもうけ、また策略にしたがって悪に成功するのを見るとき、自分の心の中で、もし神的な摂理がすべてと個々のものの中にあるなら、そのように起こることはないであろうと語るからです。しかし、彼らは、神的な摂理が、やがて過ぎ去って世の人間のいのちとともに終わりをもつものを眺めないで、永遠にとどまり、このように終わりをもたないものを眺める〔ものである〕ことを考慮しません。終わりをもたないものは存在します。しかし、終わりをもつものは相対的には存在しません――十万年も永遠と比べれば何であるか、考えることのできる者は考えなさい、そうすればそれが存在しないことを認めるでしょう。その時、世での何年間かの生活は何でしょうか?