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新しいエルサレムとその天界の教え 277

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277 流入について
世の中への天界の流入について、身体のあらゆる部分の中への霊魂の流入について(経験から、6053-6058, 6189-6215, 6307-6327, 6466-6495, 6598-6626番)。
それ自体からは何も存在しないで、それ自体よりも前のものから、このようにすべてのものは「最初のもの」から存在する(4523, 4524, 6040, 6056番)。
すべてのものは存在したように、それらはまたさらに存続する、なぜなら存続は不断の存在であるから(2886, 2888, 3627, 3628, 3648, 4523, 4524, 6040, 6056番)。
流入はその秩序にしたがって生ずる(7270番)。
ここから、すべてのものは最初のエッセから存在しているので、そこから断えず存続することが明らかである(4523, 4524, 6040, 6056番)。
いのちのすべては最初のものから、このように主から存在するので、そこから流入する(3001, 3318, 3337, 3338, 3344, 3484, 3628, 3629, 3741-3743, 4318-4320, 4417, 4524, 4882, 5847, 5986, 6325, 6468-6470, 6479, 9279, 10196番)。
すべてのエキシステレはエッセからであり、それ自体のエッセがその中に存在しないなら、何も存在することができない(4523, 4524, 6040, 6056番)。

人間が考え、意志する(欲する)ものはすべて流入する(経験から、904, 2886-2888, 4151, 4319, 4320, 5846, 5848, 6189, 6191, 6194, 6197-6199, 6213, 7147, 10219番)。
人間が事物を観察し、考え、分析的に結論できるのは流入からである(2888, 4319, 4320番)。
もし霊界からの流入が人間から取り去られるなら、人間は一瞬も生きることはできない。それでも、人間は自由の中にいる(経験から、2887, 5849, 5854, 6321番)。
主から流入するいのちは、人間の状態にしたがって、またその受け入れにしたがって変化する(2069, 5986, 6472, 7343番)。
悪い者のもとで、主から流入する善は悪に、真理は虚偽に変えられる(経験から、3643, 4632番)。
主から絶えず流入する善と真理は、悪と虚偽に妨げらなければ妨げられないほど、それだけ受け入れられる(2411, 3142, 3147, 5828番)。
すべての善は主から、すべての悪は地獄から流入する(904, 4151番)。
今日、人間はすべてのものは自分自身の中に存在する、自分自身から存在すると信じている、その時それでも流入する。またこのことはすべての善は天界からであり、すべての悪は地獄からであるという教会の教えから知ることができる(4249, 6193, 6206番)。
しかし、もし彼が事物をその〔あるが〕ままに信じるなら、彼は悪を自分に専有しない。というのは、それを自分自身から地獄へ投げ返し、また善も自分自身のものともしないし、このようにそこから何らの功績も〔要求し〕ないから(6206, 6324, 6325番)。
その時、人間の状態はどれほど幸福であろう、というのは、主によって善と悪を内側から見るからである(6325番)。
天界を否定する者は、またはそれについて何も知らない者は、そこから何らかの流入が存在することを知らない(4322, 5649, 6193, 6479番)。
流入とは何か(比較によって説明される, 6128, 6190, 9407番)。

流入は霊的であって、物質的(自然的)ではなく、このように流入は霊界から自然界の中へであって、自然界から霊界の中へではない(3219, 5119, 5259, 5427, 5428, 5477, 6322, 9109, 9110番)。
流入は内なる人を通して外なる人の中へであり、〔その〕逆ではない(1702, 1707, 1940, 1954, 5119, 5259, 5779, 6322, 9380番)。
なぜなら、内なる人は霊界に、外なる人は自然界にいるから(978, 1015, 3628, 4459, 4523, 4524, 6057, 6309, 9701-9709, 10156, 10472番)。
流入は外なるものから内なるもの中へであるかのように見えるが、これは欺きである(3721番)。
人間のもとの流入は彼の理性的なものの中へ、それを通して記憶知の中へであり、〔その〕逆ではない(1495, 1707, 1940番)。
流入の秩序がどんなものか(775, 880, 1096, 1495, 7270番)。
主からの直接の流入、それとまた霊界または天界を通して間接的な流入がある(6063, 6307, 6472, 9682, 9683番)。
主からの直接の流入はすべてのものの最も個々なものの中にも存在する(6058, 6474-6478, 8717, 8728番)。
天界を通しての主の間接的な流入について(4067, 6982, 6985, 6996番)。
それは人間に接合している霊と天使とを通して行なわれる(697, 5846-5866番)。
主は目的の中へ天使を通して流入されている、それ〔目的〕から、またそのために人間はそのように考え、欲し、行動する(1317, 1645, 5846, 5854番)。
〔また〕人間のもとの良心に属するものの中へ〔流入されている〕(6207, 6213番)。
けれども、主は霊を通して思考の中へ、こうして記憶の事柄の中へ流入される(4186, 5854, 5858, 6192, 6193, 6198, 6199, 6319番)。
このことが人間により信じられることができるのは困難である(6214番)。
主は最初のものと同時に最後のものにも流入される、すなわち、最も内なるものと同時に最も外なるものにも流入される、どのようにして(5147, 5150, 6473, 7004, 7007, 7270番)。
主の流入は人間のもとの善へ、そして善を通して真理へである、けれども逆ではない(5482, 5649, 6027, 8685, 8701, 10153番)。
善は主からの流入を受け入れる能力を与える、けれども善のない真理は与えられない(8321番)。
思考の中に入るものは害にならない、しかし、意志に入るもの〔が害になる〕、これは人間に専有されるから(6308番)。
神的なものは最高のところでは沈黙し、また平穏でもあるが、しかし、それが人間のもとの低いところへ下降するにしたがって、そこの無秩序のために、不穏となり、また騒がしくもなる(8823番)。
預言者のもとの主の流入、それがどんなものか(6212番)。

全般的な(共通の)流入がある(5850番)。
それは秩序にしたがって行動する絶え間のないコナトゥス(努力)である(6211番)。
その流入は動物の生命(いのち)に〔も〕ある(5850番)。
そしてまた植物界の対象に〔もある〕 (3648番)。
さらにまた全般的な流入にしたがって、人間のもとで、思考は話し方に、意志は振る舞いに落ち込む(5862, 5990, 6192, 6211番)。