新しいエルサレムとその天界の教え 278
278 特に人間のもとのいのちの流入について
唯一のいのちが存在し、そこから天界の中と同様に世の中のすべてのものが生きている(1954, 2021, 2536, 2658, 2886-2889, 3001, 3484, 3742, 5487, 6467番)。
このいのちは主おひとりからである(いろいろなものによる説明、2886-2889, 3344, 3484, 4319, 4320, 4524, 4882, 5986, 6325, 6468~6470, 9276, 10196番)。
(主はいのちそのものであられることは、ヨハネ1:1, 4, 5:26, 14:6参照。)
主からのいのちは、天使、霊、人間のもとへ驚くべき方法で流入する(2886~2889, 3337, 3338, 3484, 3742番)。
主はご自分の神的な愛から流入されるが、それはご自分のものが他の者のものであることを欲するといったものである(3742, 4320番)。
すべての愛はこのようなものである。そのように神的な愛は無限に大きなものである(1820, 1865, 2253, 6872番)。
ここから、いのちは人間の中に存在するかのように見え、流入するもののようには見えない(3742, 4320番)。
いのちはあたかも人間の中にあるかのように見える、主からのいのちである主要な原因もまた、受け入れる形である手段的な原因、一つの原因として働き、その手段的なものの中に感じられるからである(6325番)。
天使の知恵と知性の主要なものは、すべてのいのちは主からであることを知覚し、知ることである(4318番)。
天使の楽しさについて、〔それは〕彼らが自分自身からでなく、主から生きていることから〔であることが〕 私との会話によって、知覚され、確かめられた(6469番)。
悪い者はいのちが流入することを納得されたくない(3743番)。
欺き、無知、否定が支配するかぎり、主からのいのちの流入について疑いを遠ざけることはできない(6479番)。
教会のすべての者は、すべての善と真理は天界から、すなわち、主から天界を通ってくるもの、すべての悪と虚偽は地獄からのものであることを知っている。それでもすべてのいのちは善と真理に、また悪と虚偽に関係していて、それらがなくてはいのちはまったく存在しないほどのものである(2893, 4151番)。
教会の教えもまたそのことをみことばから教える(4249番)。
それにもかかわらず人間はいのちが流入することを信じない(4249番)。
もし霊と天使たちとの伝達と関係が〔人間から〕取り去られるなら、人間は直ちに死ぬであろう(2887番)。
またここから、何ものもそれ自体からではなく、それ自体よりも前のものから存在し、こうしてすべてと個々のものは「最初のもの」から存在しているので、そして存続は不断の存在であるので、さらにまた存在するようになり、すべてのものは存続するので、すべてのいのちはいのちの「最初のエッセ」から流入することが明らかである(4523, 4524番)。
天使、霊、人間はいのちを受け入れるものへと創造された。そのようにいのちを受け入れる単なる形である(2021, 3001, 3318, 3344, 3484, 3742, 4151, 5114, 5986番)。
その形は〔その神のいのちを〕受け入れるような形である(2888, 3001, 3484, 5847, 5986, 6467, 6472番)。
それゆえ、人間、霊、天使は、神からのいのちを受け入れるような形である(2888, 5847, 5986, 6467, 6472番)。
人間は、獣とは異なって、自分の最も内なるものの中に、そこから秩序をもってそれに続くものの中に、神的なものを受け入れて、神的なものへ高揚され、愛の善と信仰の真理によって神的なものに結合されることができ、それゆえ永遠に生きるように創造されている(5114番)。
さらにまた主からのいのちは悪い者のもとにも、そのようにまた地獄にいる者のもとにも流入する(2706, 3743, 4417, 10196番)。
しかし、彼らは善を悪に、真理を虚偽に変え、このようにいのちを霊的な死に変える。なぜなら、人間がどのようなものかによって、そのように〔その人間の〕いのちの受け入れもあるからである(4319, 4320, 4417番)。
主からの善と真理もまた常に彼らのもとへ流入する。しかし、彼らは投げ返すか、または窒息させるか、または歪曲させるかする(3743番)。
悪の中にいて、ここから虚偽の中にいる者は、真のいのちの中にいない。彼らがどんなものか(726, 4623, 4747, 10284, 10286番)。