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最後の審判 50

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 この章の中でのイスラム教徒と異教徒の審判については、以下のように行なわれました。イスラム教徒は自分の場所から、西の中の南に近かったところに集められ、キリスト教徒の周囲の道を通って、西から、南を通って東へ、そこに南の境界にまで導かれ、そして途中で悪い者は善い者から分離されました。
悪い者は沼沢と池の中に投げ込まれました。さらにまた多くの者は、それを越えて、ある荒野の中に追い散らされましたけれども、善い者は東を通って南に近い大きな空間の地へ導かれ、そしてそこに彼らに住居が与えられました。
ここへ導かれた者は、世の中で主を最大の預言者としてまた神の子として認め、その方を、人類を教えるために父から送られたと信じ、同時に自分の宗教的信念にしたがって道徳的で霊的な生活を送った者でした。
[2]彼らからの大部分の者は、教えられたとき、主への信仰を受け入れ、その方を父と一つであることを認めました――さらにまた、彼らに主からの流入を通して、キリスト教の天界との伝達が与えられ
ました、しかし、宗教が分離するので、混ぜられませんでした。
その宗教からのすべての者は、来世の中で自分たちの間にやって来ると直ぐに、最初にムハンマドを捜します、しかし、彼は見られません、けれども、彼の代わりに自分をムハンマドと呼ぶ他の二人がいます――これらの者は、キリスト教の天界の下の真ん中に、そこの左に席を得ています。
彼ら二人がムハンマドの代わりにいることの理由は、すべての者が、どんな宗教からであっても、死後、世の中で礼拝していた者へ導かれるからです、というのは、それぞれの者に自分の宗教が付着しているからです。しかし、何も助けをもたらすことができないことを知覚するとき、彼らから去ります。というのは、最初にその宗教へ入れられるようにしてでしか、だれも自分の宗教から引き出されることができないからです。
ムハンマド自身がどこにいて、彼がどのような者か、なおまた、ムハンマドの代わりの彼ら二人がどこからか、「黙示録」を解説するの中で述べます。


★ この「本」は、おそらく当時執筆中の『黙示録講解』でしょう。しかし、このように書いてあっても、『黙示録講解』にそのような箇所は見あたりません。本書の続編である『続最後の審判について』の68番以降にやや詳しい記事があります。