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最後の審判 61

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 視察の後、破壊が行なわれました。なぜなら、常に視察が先行するからです。
視察は、彼らがどのようなものであるかの調査、そしてまた、悪から善の分離です。そして、善良な者はここから連れ去られ、悪い者は残されます。
それがなし遂げられて、大地震が起こりました。それらから彼らは、最後の審判が迫ったことを認め、その時、すべての者は震えました。
その時、私は、「南の方位」の中に、特にそこの大きな都に住んでいた者を見ました(それについて前の58番)。彼らはあちらこちらへ、ある者は逃避へ突進するために、ある者は地下室に身を隠すために、ある者は自分たちの宝物のある小部屋や穴の中へ、ある者は手に入るどんなものでもここから持ち出すために走りまわりました――しかし、地震の後、下方から泡立つことが突発し、それは都と周囲の地域の中のすべてのものをひっくり返しました―泡立つことの後、東から猛烈な風がやって来て、それは、すべてのものを根本から裸にし、揺さぶり、ひっくり返しました。その時、そこにいたすべての者は、すべての場所から、すべての隠れ場所から連れ出され、海の中に投げ込まれました。その水は黒く、その中に投げ込まれた者は無数でした。
[2]その後、その地域全体から、火災後のような煙がのぼり、そして最後に濃厚なちり・・が東の風によって海へ運ばれ、まき散らされました。というのは、彼らの宝庫は、また所有したので聖なるものと彼らが言ったすべてのものは、ちり・・に変えられたから――そのちり・・が海にまき散らされたのは、このようなちり・・は(地獄へと)断罪されたことを意味するからでした。
[3]最後に彼らの地域全体の上を飛んでいる黒いものが見られ、熟視すると竜のように見えました。
それはその大きな都全体からまたその地域全体から、荒野になったことのしるしでした――それが見られたのは、「竜」によってこのような宗教的信念の虚偽が意味され、「彼らの住居」によって転覆後の荒野が意味されるからでした(例えば「エレミヤ書」9:11, 10:22, 49. 33,「マラキ書」1:3)。
[4]さらにまた、ある者がひき臼を左腕で抱えて持っているのが見られ、それは、みことばから恐るべき教義を確信したことの表象でした。「ひき臼」はこのようなことを意味します――ここから、「黙示録」の中でこのことによって何が意味されるか明らかです――

天使が大きなひき臼らしい石を取り上げ、「このように、強打でもって、バビロンは投げ込まれ、その大きな都はもはや見られない」と言って、海の中に投げ込んだ(18:21)。

[5]けれども、同じ方位の中にもまた、しかし東にさらに近くいた者は、評議会の中にいて(その評議会について前の58番照)、その中で支配を拡大する方法について、人々を無知の中に、またここから盲目の服従の中に保つ方法について相談しましたが、彼らは黒い海の中に投げ込まれませんでした。しかし、彼らの下に、また彼らの周囲に、長くまた深くそれ自体を開けていた沼地の中に投げ込まれました。このように南の方位の中のバビロニアの上に最後の審判がなし遂げられました。
[6]けれども、「西の方位の中の前部に」また「北の方位」にいた者の最後の審判は、そこにもまた大きな都がありましたが、次のように行なわれました。
大地震の後(みことばの中で、「マタイ」24:7,「ルカ」21:11,そして同様のもの、「黙示録」6:12, 8:5, 11:13, 16:18、旧約の預言書の中に意味されるそれらの地震であり、それはまたこの地の地震ではありません)、そこにあったすべてのものを土台まで根こぎにし、東の風が南から西を通って北の中に進み、そしてそのすべての領域を裸にしました。最初に、西の方位の中の前部にあったものを、そこの地の下に暗い時代の中に生きた者が住んでいました。その方位から北を通って東まで広がっていた大きな都を、それらの地域からすべてのものが裸にされて見られました。しかし、そこにそれほどの宝がなかったので、何らかの泡立つことと宝庫を滅ぼす硫黄の火は見られないで、ひっくり返すことと破壊だけが、その後、煙の中にすべてのものが発散するのが見られました。というのは、東の風が、行ったり戻ったりして進み、ひっくり返し、破壊し、そしてまた取り除いたからです。
[7]無数の修道士が庶民とともに連れ出され、一部〔の者〕は黒い海の中に西に面している側から、一部の者は南の大きな裂け目の中に(それについて前に)、一部の者は西の沼地の中に、一部の者は異教徒の地獄の中に投げ込まれました。なぜなら、暗い時代からの者は、一部の者に関して異教徒に似た偶像崇拝者であったからです。
ここからもまた煙が上るのが、海まで広がり、その上を飛んで、黒い外皮を被せているのが見えました。なぜなら、海のその部分は、ちり・・と煙で表面に外皮をつくられ、その中に彼らの住居と富は溶けたからです。それゆえ、その海はもはや視覚に存在しません、しかし、それに代わって黒い地面のようなァものが見え、その下に彼らの地獄がありました。
[8]「東の方位」の中の山々の上に住んでいる(それらについてもまた58番参照)者の最後の審判は、次のようになし遂げられました。
彼らの山々が深淵の中に沈み、それらの上のすべての者がのみ込まれるのが見られました――そして、彼らがある者を一つの山の上に置き、彼を神として宣言し、彼が黒くなり、その後、火のようになったこと、また彼らとともに地獄の中へ真っ逆さまに投げ込まれたのが見られました――というのは、いろいろな教団からの修道士は、それらの山の上にいた者を「神」、また自分自身を「キリスト」と言い、彼らはどこでも行き、自分自身がキリストであるという恐るべき信念を抱いたからです。
[9]遠く離れて「東の方位」の中に、そこに山々の上に住んだ者、その者は「緋色の獣に座っている女、その者に七つの頭、それらは七つの山」(その女についても前の58番に述べました)によって意味され、その者にもまた最後の審判が行なわれました。
彼らの山もまた見られました。ある山が真ん中で開かれ、そこにとぐろ巻きに回転している巨大な裂け目ができ、それらの上の者は、それらの中に投げ込まれました――ある山々は底から引き離され、そこの最高のものが最低のものになったように完全に逆さまにされました。そこの平地にいた者は、洪水のように水で覆われ、他の方位からであった者は沼地の中に投げ入れられました。
しかし、今や言われたそれらすべてのものは、私が見たものからすればわずかでした。多くのものが『黙示録についての解説』の中で述べられるでしょう。これらは1757年の初めに行なわれ、なし遂げられました。
[10]黒い海の中へ投げ込まれた者を除いてすべての者が投げ込まれた「沼地」については、その数は多いのですが、私に四つの沼地が示されました。一つの大きな沼地が、南の方位の中に、そこに東へ向かってあり、もう一つのものが西の方位の中に、南に向かってあり、第三のものが西の方位の中に、そこに北に向かっ
てあり、第四のものがさらに遠く、西と北の間の隅の中にありました――沼地と海は彼らの地獄です。
これらが見られました、しかし、それらのほかに見られない他の多くのものがあります。というのは、バビロニアの地獄は、教会の善と真理のものである霊的ないろいろなものの冒涜にしたがって区別されているからです。