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最後の審判 69

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69(1)最初の天はだれから存在するようになったか
最初の天は、最後の審判が行なわれたすべての者から構成されました。というのは、地獄の中の者にも、
天界の中の者にも、霊たちの世界の中の者にも、また依然として生きている人間にも行なわれなかったからです(その霊たちの世界については著作『天界と地獄』(421-520番)参照)――しかし、自分たちに天界に似たものを造った者の上にだけあり、それらの大部分は山と岩の上にありました――これらの者もまた主により左側に置かれた「ヤギ」によって意味されました(マタイ25:32, 33以降)。
ここから、最初の天は、キリスト教徒からだけでなく、イスラム教徒と異教徒からもまた存在し、それらのすべての者が自分たちの場所の中に自分たち自身にこのような天界を形成したことを明らかにすることができます。
[2]彼らがどんなものであったか、手短に述べます。世の中で外なる神聖さの中に生きましたが、それでも決して内なる神聖さの中に生きなかった者です。その者は市民の法律や道徳の法律のために公正で誠実でしたが、神的な法律のためではありませんでした、そのように外なる人または自然的な人であり、そして内なる人または霊的な人ではありませんでした。なおまた、その者はいろいろな任務の中にいて役立ちを行ないましたが、役立ちのためではありませんでした。
主の来臨の後に生きた全地球の中のこれらやこれらに似たすべての者から、「最初の天」が構成されました。
それゆえ、この天は、善を善であるので行なうのではなく、法律を恐れ、名声・名誉・利益を失うこ天とを恐れるので行なったような者からの地の世と教会のようなものでした――その者は他の起源から善を行なわず、彼らは神でなく人間を恐れ、良心も持ちません。
[3]最初の天の中の多くの部分が、改革派教会からであり、その者は信仰のみによって人間が救われることを信じ、仁愛である信仰の生活を生きませんでした。その者は人から見られることを大いに好みました。
内的なものは、仲間となっていたときの彼らのすべての者から見られないように閉ざされていました、しかし、最後の審判が迫ったとき開かれました。その時、内部がすべての種類の悪と虚偽に取りつかれていること、神性に反していたこと、実際に地獄の中にいたことがわかりました――なぜなら、それぞれの者は、死後、直ちに似た者に、善良な者は天界の中の天界の中の似た者に、けれども、悪い者は地獄の中の似た者に結び付けられるからです。しかし、内的なものが明らかにされないうちは彼らのもとにやって来ません。その間は、外なるものの中で似た者と仲間となることができます。
[4]しかし、知らなければなりません。内的に善良であった者、そのように霊的であったすべての者は、彼らから分離され、天界の中に上げられたことです。内的だけでなく外的にもまた悪であったすべての者もまた彼らから分離され、地獄の中へ投げ込まれました。このことは主の来臨の後の最初の時から審判の時である最後の時まで行なわれました。そして、前に述べられたように、自分たちの間に社会を形成するために残された者だけが、最初の天をつくりました。