最後の審判と世の終わり 3
3[2119] 死ぬときの「それぞれの人間の生活の最後のもの」が、彼にとって最後の審判であることは、ある者に隠されていません、しかし、それでも、わずかな者しか信じていません。そのときそれでもなお、それぞれの人間が、死後、来世の中でよみがえり、審判の前に立たされることは不変の真理です――しかし、この審判は次のようです――彼の身体が冷たくなるとすぐに、数日後に起こりますが、彼は主により最初に彼のもとにいる天的な天使によってよみがえります。しかし、〔彼が〕彼らとともにいることができないような者であるとき、霊的な天使により、また引き続いて、その後、善霊たちにより受け入れられます。なぜなら、すべての者は、どれほど多くても、来世の中にやって来て、やって来る者は歓迎され、受け入れられるからです。しかし、悪の生活を送った者はその欲望が続くので、天使と善霊のもとに長らくとどまることができません、しかし、引き続いて、自分自身で彼らから分離し、このことが、似た霊にやって来る間、また世の中で持った生活と一致する生活にやって来る間、それだけ続きます。その時、彼にあたかも自分の身体の生活(いのち)の中にいるかのように見えます、〔この生活は〕本的に生活(いのち)の連続でもあります。この生活により彼の審判が始まります――悪い生活を送った者は、時の経過を経て、地獄へ下り、善い〔生活を送った〕者は、主により次第に天界へ上げられます――それぞれの者の最後の審判はこのようなものであり、そのことについて経験から「第一部(巻)」で述べました。