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最後の審判と世の終わり 第二部 3

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3[3355] 内意では、「地震(地の動き)」が教会の状態の変化であることは、教会である「地」の意味から明らかです(それについては、566, 662, 1066, 1068, 1262, 1733, 1850, 2117[1], 2118[2], 2928番)、また状態の変化である「動き」の意味から、ここでは教会のもの、すなわち、善と真理に関してであることが明らかです。そしてまた、みことばの他の箇所から明らかです、例えば「イザヤ書」に、
起こる、恐怖の声から逃げる者は穴に落ち込み、穴の真ん中から上る者はわなに捕えられる。瀑布が高いところから開かれる、〝地の基がゆさぶられた〟からである。〝地は〟、粉砕に、〝粉砕された〟。〝地は〟、揺り動かされに、〝揺り動かされた〟。〝地は〟、酔いどれのように、揺れに、揺れた。小屋のようにぐらついた。その〔〝地〟の〕上に、そのそむきの罪は重く、倒れ、再び立ち上がることを加えない――その日に、エホバは高いところの中の高いところの軍隊に、また〝土地〟の上の〝土地〟の王たちの上に、審判を下される(24:18, 19, 21)

そこの「」が教会であることが、はっきりと明らかです、なぜなら、教会について扱われており、善と真理がもはや知られないとき「基がゆさぶられた、その地が粉砕された、揺り動かされた、揺れた、ぐらついた」と言われているからです。「土地の王たち」は〔教会の〕真理であり、ここでは審判が下される虚偽です。「王たち」は真理であり、正反対の意味では虚偽です(1672, 2015,〔2069〕番)、また「土地」は地と同様です、すなわち、教会です、しかし、相違があります(566, 1068番照)――
[2]同書に、

わたしは人間を純金よりも、人間をオフィルの金よりもまれにする。それゆえ、わたしは天を揺り動かし、万軍のエホバの憤りの中で、またその方の怒りの燃え上がる火の中で、〝地はその場所から揺り動かされる〟(13:12, 13)。

そこに審判の日について〔述べられています〕。そこでもまた「」は明らかに教会を表わし、それは状態に関して変化されるとき「場所から揺り動かされる」と言われます。「場所」は状態です(1273-1275, 1377, 2625, 2837番照)――同書に、

この者が、〝地を揺り動かし〟、〝王〟を揺り動かし、世界を荒野の中に置き、その都を破壊する男なのか? (14:16, 17)

そこに明けの明星(魔王)について〔述べられています〕。「」が教会を表わし、そのすべてのものを自分自身に要求するとき「地を揺り動かす」ことが、言われます。「王国」は教会のものである真理です(1672, 2547番照)――
[3]「エゼキエル書」に、

その日、ゴグが〝イスラエルの地〟の上にやって来る。わたしの怒りの中に、わたしのねたみの中に、わたしの憤りが上る。わたしの憤慨の火の中でわたしは話す、必ずや、その日に、イスラエルの〝土地〟の上に大きな〝地震〟がある(38:18-20)。

ゴグ」は内なるものから分離し、このように偶像崇拝となった外なる礼拝を表わします。「地とイスラエルの土地」は霊的な教会を表わし、「地震」はその状態の変化を表わします――「ヨエル書」に、

その方の前で〝地は揺り動かされ〟、天は震え、太陽と月は暗くなり、星はその輝きを引っ込めた(2:10)。

そこもまた最後の日について〔述べられています〕。「地震」は教会の状態の変化を、「太陽と月」は愛の善と信仰の真理を表わします(1529, 1530, 2441, 2495番)。善と真理がもはや認められないとき、それらが「暗くなる」と言われます。「」は善と真理の知識を表わします(2495, 2849番)――ダビデの書に、

地はゆさぶられた、また揺り動かされた〟。また、山々の基は揺れ動かされ、ゆさぶられた、その方が激怒されたからである(詩篇18:7)。

ゆさぶられ、揺り動かされた地」は、ゆがめられた教会の状態を表わします。
[4]ヨハネの「黙示録」に、

さらに私は見た。第六の封印が開かれたとき、そのとき見よ、〝大きな地震があった〟。太陽は粗い麻布のように黒くなり、月全体は血のようになった。天の星は地上に落ちた(6:12, 13)。

そこの「地震・太陽・月・星」は前の「ヨエル書」と同様のことを意味します――同書に、

その時、〝大きな地震があった〟、都の十分の一が倒れ、〝地震〟の中で七千の人間の名前が死んで倒れた(11:13)。

それらのすべての箇所から、「地震」が教会の状態の変化以外の他のものではなく、また「」が内意で教会以外の他のものではないことが明らかです。「地」が教会であるので、「新しい天と新しい地」によって前のものに代わって続いた教会であることが明らかです(イザヤ45:17, 46:22, 黙示録21:1)。内なるまた外なる新しい教会以外の他のものは意味されません(1733, 1850, 2117[1], 2118[2]番以降)。