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最後の審判と世の終わり 第二部 20

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20[3756] それがそれらのことばの内意であることを、十分に示すことができます。例えば、「みごもっている者」は、最初に善に浸されている者を意味します。そして「乳を飲んでいる者」は、無垢の状態に浸されている者を意味します。「逃避」は、それらから移動を、「」は、自己愛が内的なものを占めてそのことから、それらの善への反感を、また「安息日の中での逃避」は、外なるものの中に聖なるものがあり、内部に自己愛と世俗愛があるとき生じる冒涜を意味します。しかし、同じことばと同様の表現が続くものの中でしばしば現われるので、主の神的慈悲から、そこに、それらの意味がそのようなものであることを〔これから〕示します。