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最後の審判と世の終わり 第二部 21

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21[3757] けれども、何が聖なるものの冒涜か知っている者はわずかです、しかし、以前にそれらについて言われ、示されたものから明らかにすることができます、すなわち、善と真理を吸収し、知り、認める者は冒涜することができる、けれども、認めない者は、まして、知らない者は冒涜できないことです(593,1008,1010,1059,3398番)――そのように、教会内にいる者は、聖なるものを冒涜することができます、けれども、外の者はできません(2051番)――天的な教会からの者は、聖なる善を、霊的な教会からの者は、聖なる真理を冒涜することができます(3399番)――それゆえ、内的な真理は、それらを冒涜しないようにユダヤ人たちに示されませんでした(3398番)――異教徒は最も冒涜できません(2051番)――冒涜は、善と悪の、なおまた真理と虚偽の混合と結合です(1001, 1003, 2426番)――そのことは血を食べることによって意味され、これはユダヤ教会の中で非常にきびしく禁じられました(1003番)。それゆえ、もしそれらの中にとどまることができないなら、それほどに善と真理の承認と信仰から押しとどめられ(3398, 3402番)――それゆえ、無知の中に保たれ(301-303番)――それゆえ、礼拝もまた外なるものになりました(1327, 1328番)――内的な真理は、教会が荒廃させられるときよりも前には啓示されません、その時、善と真理はもはや冒涜されることができないからです(3398, 3399番)――それゆえ、主はその時、初めて世の中にやって来られました(3398番、聖なるものとみことばの冒涜からどれほど大きな危険があるかは、571, 582番照)。