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最後の審判と世の終わり 第二部 22

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(5)「マタイ福音書」24:3-28の解説 22-26

22 [3897] 目的にしたがって、この章〔「創世記」第30章〕の前〔の部分〕で説明されることへ、主が「マタイ福音書」第24章で、最後の審判について、すなわち、教会の最後の時について教えられたことへ来ています。
前章〔第29章〕の前〔の部分〕で、そこの19-22節に含まれていることが説明されました、今から、23-28節を続けます、すなわち、

その時、たとえ、だれかがあなたがたに、「見よ、ここにキリストがいる」、または「そこに」と言っても、あなたがたは信じないようにしなさい。というのは、にせキリストたち、にせ預言者たちが現われ、もし可能なら、選ばれた者にもまた、大きなしるしと兆しを、惑わすために与えるからです。見よ、わたしはあなたがたに予言しました。それゆえ、〔彼らが〕あなたがたに、「見よ、荒野の中にいる」と言っても、あなたがたは外に出ないようにしなさい。「見よ、部屋の中に〔いる、と言っても〕」、あなたがたは信じないようにしなさい。というのは、いなずまが東から発し、西にまで見られるように、人の子の到来もまたそのようであるから、というのは、どこでも死体のあるところにワシもまた集められるからです。