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最後の審判と世の終わり 第二部 24

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24[3899] 前に「マタイ福音書」のこの章の中で教会の継続的な荒廃について、すなわち、〔彼らが〕最初にもはや何が善と真理か知らなくなり始め、それらについて論争し、その後、〔彼らが〕それらを軽蔑し、第三に、認めず、第四に、冒涜することを扱いました(そのことは3754[18]番参照)。そこでは、全般的に教えに関する教会の状態について、その時、どんなものであるかを扱っています。特に、外なる聖なる礼拝の中にいても、内的な冒涜の〔礼拝の〕中にいる、すなわち、聖なる崇敬とともに口で主を告白しても、心で自分自身と世を崇拝し、そのように、主の礼拝が彼らにとって名誉と富を得る手段である教会の状態です。彼らは、主を、天界の生活と信仰を認めれば認めるほど、このような者になり、そのとき冒涜します。
教会のこの状態について、今から扱います。前に示された主のことばの内意から、いっそうよく明らかにすることができるためです。それは次のようなものです。