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最後の審判と世の終わり 第二部 36

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36[4333] それらのことばによって内意で何が意味されるか、続く説明から明らかです、すなわち、旧い教会が退けられ、新しいものが設立される時、来るべき状態がどんなものであるか述べられていることです――旧い教会を捨て、新しい教会を設立することが世代の完了と〝人の子〟と到来によって、また全般的に最後の審判によって意味されることであり、〔このことは〕前にしばしば示されました。なおまた、その最後の審判はこの地上で数回、起こりました、すなわち、「最初」は、主の天的な教会である最古代教会のとき、洪水以前に、悪と虚偽を清めることによって滅びました、それが洪水の内意です。
[2]「第二」は、洪水後、アジアの多くの世界を通して広がった古代教会と言われる霊的な教会のときであり、その教会自体から終わりました。
[3]「第三」は、ヤコブの子孫のもとで教会の表象が破壊されたときであり、そのことは、十の部族が永続する捕囚の中へ連れ去られ、そして国民の間にちりぢりにされたときに、また最後に、エルサレムが滅ぼされ、またユダヤ人たちもまた追い散らされたときになされました。その時、主の来臨の後に世代の完了があり、それゆえ、さらにまた多くのことが、その世代の完了について主により「福音書」のもとに言われており、それらの民族にもまた適用でき、そしてまた今日の多くの者に適用されます。しかしそれでも、特定的に、また特にそこに、今や切迫している世代の完了、すなわち、キリスト教会の終わりについて扱われており、それについてもまたヨハネの「黙示録」のもとに扱われています。これはこの地上の「第四」の最後の審判になります。
前に引用された36-42節にあることばが何を含むかは、それらの内意から明らかであり、それは次のようなものです。