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最後の審判と世の終わり 第二部 43

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(11)「マタイ福音書」25:1-13の解説 43-46

43 [4635] 「創世記」の前章の序文の中で、主が「マタイ福音書」第24章で教会 の最後の時について予言したことをこれまで説明しました。同じ福音書の同じものが第25章に続けられるので、それらもまた、その順序で、内意に関して説明することが許されています、それらは文字で次のものです――

その時、天の王国は、自分の明かりを握って花婿の出迎えに出て来る十人の娘と同様である。けれども、彼女らからの五人は賢かった、しかし、五人は愚かだった。それらの愚かな者は、自分の明かりを握って〔いても〕、自分自身に油を受け入れていなかった。けれども、賢い者は、自分の明かりとともに自分の器の中に油を受け入れていた。けれども、花婿が遅れて、すべての者が眠り、眠り込んだ。けれども、真夜中に叫び声が起こった、「見よ、花婿が来る、その方の出迎えに出て来い」。その時、そのすべての娘たちは起き、自分の明かりを整えた(ランプの芯を切りそろえた)。しかし、愚かな者たちは言った、「私たちにあなたがたの油をください、私たちの明かりは消えるからです」。けれども、賢い者たちは、「ことによると、私たちに、またあなたがたに、十分でないかもしれません。しかし、むしろ売る者のところへ出かけなさい、あなたがた自身で買いなさい」と言って、答えた。けれども、買うために彼女らが立ち去っているときに、花婿がやって来た。用意のできた者はその方とともに結婚式場へ入り、入り口は閉ざされた。けれどもその後、残りの娘たちもまた、「主よ、主よ、私たちに開けてください」と言って、やって来た。けれども、その方は答えて言った、「まことに、わたしはあなたがたに言う、わたしはあなたがたを知らない」。それゆえ、目を覚ましていなさい、あなたがたは人の子がやって来る日を、時もまた、知らないからである(マタイ25:1-13)。