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続 霊界について 82

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 ユダヤ人は、霊界の中にいることを他の者よりも知りません、依然として自然界の中にいると信じています。その理由は、まったく外なる人であり、自分の宗教について何らかのものを内的なものから考えないからです。それゆえ、メシアについて前と同様に話します、例えば、ダビデとともにやって来て、輝くダイヤモンドとともに彼らに先立って行き、彼らをカナンの地の中へ導き、途中で、杖を持ち上げて、川を干上がらせて渡ることです。また自分たちの間で異教徒と呼ぶキリスト教徒が、その時、自分たちの衣服のすそをつかみ、同行することが許されるように嘆願して祈り、富んだ者を〔富の〕量にしたがって受け入れ、これらの者もまた彼らに仕えることです――みことばで「カナンの地」によって教会が、その「エルサレム」によって教えに関する教会が、ここから「ユダヤ人」によって主の教会からの者であるすべての者が意味されることを知ろうとしませんーーこれらの者がみことばの中の「ユダヤ人」によって意味されることは、『聖書についての教え』(51番)にあります。
「あなたがたもまたカナンの地にやって来ることを信じていますか」と質問されるとき、「その時、降りて行く」と言います。
「その地はすべての者を収容できません」と言われるとき、「その時、拡大される」と答えます。
「どこにベツレヘムがあるのか、またダビデの根からの者とはいったいだれであるのか、知っているのですか」と言われるとき、「来るべきメシアがそれを知っている」と答えます。
「エホバの子であるメシアがこれほどに悪い者とどのようにして住むことができるのですか」と言われるとき、「〔自分たちは〕悪い者ではない」と答えます――「それでもモーセは自分の歌の中で彼らを述べ(「申命記」第32章)、最も悪い者である、と言っています」と言われるとき、「モーセは、その時、死別することを怒っていた」と答えます、しかし、「モーセはそれをエホバの命令から書きました」と言われるとき、その時、黙り、相談する〔ために〕立ち去ります。
彼らの起源がカナン人からであること、自分の息子の妻とのユダの淫行からであること(「創世記」第38章)が言われるとき、「アブラハムから〔の出〕であれば十分である」と言って、怒ります。
彼らに、「みことばの中に内的に霊的な意味があり、それはキリストおひとりを扱っています」と言われるとき、「そのようではない、しかし、みことばの中にきん以外でないなら、内的なものはない」と答えますーーほかにも同様の多くのこと〔があります〕。