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天界と地獄 26

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26 「神的真理を直ちに生活の中に受け入れた者、また受け入れている者は、他の者よりも知恵と栄光がある」と言われました。というのは、それらを聞くとすぐに、それらを意志し、行ない、記憶の中に蓄えてから、その後、そうなのかどうか、と考えないからです。
そのような者は、聞いたことが真理であるかどうかを、主からの流入によって直ちに知ります。主は人間の意志することの中に直接に流入され、意志することを通して彼の考えることの中へ間接に流入されるからです。また同じことですが、主は善の中に直接に流入され、善を通して真理の中に間接に流入されるからです。(*8) なぜなら、意志に属し、ここから働きに属すものは善と言われますが、記憶に属し、ここから思考に属すものは真理と言われ――さらにまた、すべての真理は、意志に入るとすぐに善へ変えられ、愛に植えつけられるからです。それでも、真理が、記憶とそこからの思考の中にあるかぎり、善とはならず、生かされもせず、人間のものともなりません。人間は意志とそこからの理解力から人間であり、意志から分離した理解力からは人間ではないからです。(*9) 


*8 主の流入は、善の中へ、善を通して真理の中へであって、その逆ではない。このように、意志の中へ、それを通して理解力の中へであって、その逆ではない(5482, 5649, 6027, 8685, 8701, 10153)。
*9 人間の意志は彼のいのちのエッセ(存在)であり、愛の善の容器である。また理解力はそこからのいのちのエキシステレ(実在)であり、信仰の真理と善の容器である(3619, 5002, 9282)。
このように、意志のいのちは人間の主要ないのちであり、理解力のいのちはそこから発出する(585, 590, 3619, 7342, 8885, 9282, 10076, 10109, 10110)。
意志で受け入れられたものは、いのちに属すものとなり、人間に自分のものにされる(3161, 9386, 9393)。
人間は意志とここからの理解力から人間である(8911, 9069, 9071, 10076, 10106, 10110)。
さらにまた、よく意志し、よく理解する者はだれでも他の者から愛され、尊重される。しかし、よく理解するが、よく意志しない者は退けられ、さげすまれる(8911, 10076)。
さらにまた、人間は死後、彼の意志とそこから理解力のあったままにとどまり、理解力に属す、同時に意志に属さないものは、その人間の中に存在しないので、その時、消える(9069, 9071, 9282, 9386, 10153)。