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天界と地獄 76

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76  しかし、天使は肉眼によって人間に見られることができないで、人間の中にある霊の目によって見られることを知らなくてはなりません(*7)。なぜなら、身体のすべてのものは自然界の中にあり、霊の目は霊界の中にあるからです。似たものは、似ているから、似たものを見るのです――さらに、身体の視覚の器官である目は、だれにも知られているように、自然の小さいものを、もし拡大鏡によらないなら決して見ることがないように、このように粗雑です。ここから、霊界にあるすべてのもののような自然の領域を超えたものは、なおさら見ることはありません――しかし、これら霊界にあるものでも、人間が身体の視覚から引き出され、霊の目を開かれるとき見られ、さらにまたこのことは、これらのものを見ることを主が喜ばれるとき、一瞬にして起こります。その時、人間は、それらを身体の目で見ているとしか思いません――このようにして、天使は、アブラハム、ロト、マノア、預言者たちに見られました。主もまたこのようにして復活後に弟子たちに見られました――さらにまた似た方法で、私に天使が見られました。
預言者たちはこのように見たので、それゆえ「見る者」や「目を開かれた者」と呼ばれました(サムエル記I 9:9、民数記 24:3)。彼らが見るようにされることは、「目を開くこと」と言われ、エリシャの若者に起こったことであり、そのことについて次のように書いてあります、

エリシャは祈って言った。「エホバよ、どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください」。エホバがその若者の目を開かれたとき、彼は見た。見よ、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いてその山に満ちていた(列王記Ⅱ6:17)。


*7  人間は、自分の内的なものに関して霊である(1594)。
その霊は人間自身であり、身体は霊から生きている(447, 4622, 6054)。