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天界と地獄128

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128 神的真理が天使に光であるのは、天使は自然的でなく霊的であるからです。霊的な者は霊的な太陽から、自然的な者は自然の太陽から見ます。天使に理解力があるのは神的真理からであり、理解力は彼らの内なる視覚であって、それが外なる視覚に流入して、その視覚を生んでいます。ここから、天界で太陽としての主から見られるものは、光の中に見られます(*2)
天界には光の源泉が存在するので、それゆえ、そこの光は、主からの神的真理の受容にしたがって、または同じことですが、天使の知性と知恵にしたがって変化しています——天界の光は、天的な王国と霊的な王国とでは別であり、それぞれの社会の中でも別々です。天的な王国の中の光は炎のように見られます、そこの天使は太陽としての主から光を受けるからです。けれども、霊的な王国の中の光は白く光ります、そこの天使は月としての主から光を受けるからです(前の118番参照)。
ある社会と他の社会とで光は似ていません——それぞれの社会の中でも異なっていて、その社会の真ん中にいる者は多くの光の中に、周囲にいる者は少ない光の中にいます(43番参照)。
一言でいえば、神的真理の容器である天使は、すなわち、主からの知性と知恵の中にいる天使は、それと同じ段階の光の中にいるのです(*3)
ここから、天界の天使は光の天使と呼ばれます。


*2 天界の中の光は天使と霊の視覚と理解力を照らす(2776, 3138)。
*3 天界の中の光は天使の知性と知恵にしたがっている(1524, 1529, 1530, 3339)。
天界の中の光には天使の社会と同数のそれだけ多くの相違がある。善と真理に関して、したがって知恵と知性に関して、絶え間のない変化が天界の中にあるからである(684, 690, 3241, 3744, 3745, 4414, 5598, 7236, 7833, 7836)。