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天界と地獄155

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155 天使は、愛に関して常に似た状態の中にいるのではありません、したがって知恵に関しても似た状態の中にいるのではありません、なぜなら、彼らにすべての知恵は愛から存在し、愛にしたがっているからです。ある時は、強烈な愛の状態の中に、またある時は、強烈でない愛の状態の中にいます。その状態は最大のものから最小のものまで段階的に減少します。愛の最大の段階の中にいる時、彼らは自分の生活の光と熱の中に、すなわち、その明るさと快さの中にいます。けれども、最小の段階の中にいる時、彼らは自分の生活の陰と寒さの中に、すなわちその暗さと不快さの中にいます——彼らの生活は最後の状態から再び最初へ戻り、こうしてさらに繰り返します——これらの交替は、変化とともに次から次へと続きます。
これらの状態は、光と陰、熱と寒さの変化の状態のように、または世で、一年間の絶え間のない変化ともに、日々の朝・昼・夕・夜のように続きます——さらにまた、朝は明るさの中にある彼らの愛の状態に対応し、昼は明るさの中にある彼らの知恵の状態に、夕は暗さの中にある彼らの知恵の状態に、夜は愛と知恵のない状態に対応します——しかし、天界にいる者の生活の状態には、夜に対応するものはなく、朝の前である夜明けに対応するものがあることを知らなくてはなりません。夜に対応するものは地獄にいる者にあります(*1)
それらの対応から、みことばの中で「日」と「年」は全般的な生活の状態を意味し、「熱」と「光」は愛と知恵、「朝」は愛の最初と最高の段階、「昼」は光の中にある知恵、「夕」は陰の中にある知恵、「夜明け」は朝に先行する暗い状態、「夜」は愛と知恵を剥奪された状態を意味します(*2)


*1 天界に夜に対応する状態はなく、朝の前の夜明けに対応する状態がある(6110)。
「夜明け」は、最後と最初の間の中間の状態を意味する(10134)。
*2 照らしと知覚に関して天界での交替の状態は、世での一日の時間のようである(5672, 5962, 6110, 8426, 9213, 10605)。
みことばの中で「日」と「年」は、全般的なすべての状態を意味する(23, 487, 488, 493, 893, 2788, 3462, 4850, 10656)。
「朝」は新しい状態や愛の状態の始まりを意味する(7218, 8426, 8427, 10114, 10134)。
「夕」は光と愛の消えてゆく状態を意味する(10134, 10135)。
「夜」は愛と信仰の何もない状態を意味する(221, 709, 2353, 6000, 6110, 7870, 7947)。