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天界と地獄231

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231  主から発出する神的真理に天界の中のすべての力があります、なぜなら、天界の中の主は神的善に結合した神的真理であられるからです(126-140番参照)。天使にはその真理を受け入れれば受け入れるほど、それだけ力があります(*1)
それぞれの者はその者の理解力と意志がどのようなものであるかによるので、それぞれの者もまたそれ自身の真理とそれ自身の善です。理解力は、そのすべてが真理からのものであるので、真理のものであり、意志は、そのすべてが善からのものであるので、善のものです。なぜなら、だれでも、理解するものを真理と呼び、意志するものを善と呼ぶからです。ここから、それぞれの者は、それ自身の真理であり、それ自身の善です(*2)――それで、天使は神性からの真理と神性からの善となればなるほど、それだけ彼のもとに主が存在するので、それだけ力となります――だれも他の者とまったく同じようなまたは同一の善と真理の中にいないので、なぜなら、天界には世のように絶え間のない不断の変化があるからであり(20番)、それゆえ、ある天使は他の天使と同じの力の中にいません。
〝最大の人〟の中で、すなわち、天界の中で、腕を構成する者たちは最大の力の中にいます、その理由は、そこにいる者は他の者にまさって真理の中にいて、その真理の中へ全天界から善が流入するからです。人間の全部の力もまた腕の中へ移り、腕によって全身はその力を行使します――ここから、みことばの中では「腕」によって、また「手」によって、力が意味されます(*3)
天界では、時々、裸の腕が見られ、その腕にはすべての障害物を、たとえ地上の岩石であったとしても、粉砕することができるほどの力があります。かつて、その腕が私にもまた向けられたことがあります。私は、その腕が私の骨をこなごなに砕くことができる、とわかりました。


*1 天使は「力」と呼ばれ、主から神的真理を受け入れるので力がある(9639)。
天使は主からの神的真理の容器であり、それゆえ、みことばのあちこちで「神々」と言われる(4295, 4402, 7378, 8192, 8301, 9160)。
*2 人間と天使は自分自身の善と真理であり、そのように自分自身の愛と信仰である(10298, 10367)。
自分自身の理解力と自分自身の意志であるのは、すべてのいのち(生活)はここからであり、意志に属し、真理のいのち(生活)は理解力に属すからである(10076, 10177, 10264, 10284)。
*3 〝最大の人〟、すなわち、天界との手・腕・肩の対応について(4931-4937)。
みことばの中の「腕」と「手」によって力が意味される(878, 3091, 4932, 4933, 6947, 10019 )。