カテゴリー

天界と地獄277

276◀︎目次▶︎278

277  幼児期のまたは幼児の無垢は本物の無垢ではありません、なぜなら、単に外なる形の中にあって、内なるものではないからです。それでもやはり、彼らの顔から、彼らの振る舞いのあるものから、彼らの最初期の話し方から輝き出て、感動させるので、無垢がどんなものであるか学ぶことができます。すなわち、思考のもととなる善と悪が何なのか、また真理と虚偽が何なのかをまだ知らないので、彼らに内なる思考がないことです。
[2]ここから彼らに、プロプリウム(固有のもの)からの思慮分別はなく――意図や熟考もなく、したがって悪の目的もありません。彼らに自己愛と世俗愛から得られたプロプリウムはありません。自分自身に何も帰さないで、すべてのものを自分の両親から受けたとしています。自分に与えられたわずかなものやちっぽけなもので満足し、それらで喜びます。食物や衣服についての心配も、将来についての心配もありません。世を眺めて、そこから多くのものを望むこともありません――自分の両親・自分の乳母・仲間の幼児を愛し、彼らと無邪気に(無垢の中で)遊びます。導かれるままに、聞き従います――
[3]そしてこの状態の中にいるので、すべてのものをいのちで受け入れます。ここから彼らには、どこからなのか知らなくても、きちんとした行儀や話し方があり、ここから彼らに記憶力と思考の最初の段階があり、それらを受け入れたり、吸収する手段として彼らの無垢の状態が役立っています。
しかし、この無垢は、前に言われたように、外なるものであり、心(mens)に属さないで単に身体に属すものです(*1)。なぜなら、心は理解力と意志であり、ここから思考と情愛があるので、彼らの心はまだ形作られていないからです。
[4]私は天界から、「幼児は特に主の導きのもとにあり、無垢の状態が存在する最内部の天界からの流入があります。流入は彼らの内的なものを通過し、通過する中で、それらの内的なものは無垢によってだけ働きかけられます。ここから、無垢が顔の中や何らかの振る舞いの中にもたらされ、現われます。またそれは両親に深い情愛を感じさせ、親心(ストルゲー)と呼ばれる愛をつくります」と言われました。


*1 幼児の無垢は真の無垢ではない、真の無垢は知恵の中に宿っている(1616, 2305, 2306, 3494, 4563, 4797, 5608, 9301, 10021)。
幼児の善は霊的な善ではない、真理を植え付けられて霊的な善になる(3504)。
それでも、幼児の善は知性が植え付けられる手段である(1616, 3183, 9331, 10110)。
人間は幼児期の無垢の善がないと獣になる(3494)。
幼児期に吸収されたどんなものも、自然的なものに見える(3494)。