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天界と地獄290

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290  さらにまた私は天使と平和について語りました。私は、「世では国々の間で戦争や敵意がやんでいるとき、また人間たちの間で反目や不和がやんでいるとき、平和と呼ばれます。内なる平和は、心配事から離れた心の休養であって、特に物事がうまくいっているときの穏やかさや快さであると信じられています」と言いました――しかし、天使は、「心(animus)の安らぎ、また心配事から離れて、物事が成功しているときの穏やかさや快さは平和のように見えます、しかし、天界の善の中にいる者のもとにあるものでないかぎり、平和はその善の中にしか与えられないので、平和とは言えません。平和は主から彼らの最内部に流入し、彼らの最内部からその低いものの中に降り、流れ下り、〔内的な〕心(mens)の安らぎ、〔外的な〕心(animus)の静けさ、そこからの楽しさをもたらすからです。
けれども、悪の中にいる者のもとに平和は与えられません(*6)――確かに、彼らの思い通りに物事が続く時、休息・静けさ・快さのように見えます。しかし、それは外面的なものであって内面的なものではありません。内部には反目・憎しみ・復讐・残酷・多くの悪の欲望が燃え、さらに彼らの心(animus)は、自分に好意をもたない者を見ると直ぐにそれらの中へと駆り立てられ、恐怖のない時、それらの悪が突発するからです。ここから、彼らの快さは狂気の中に宿っています、しかし、善の中にいる者の快さは知恵の中に宿っています。その相違は地獄と天界の間のようです」と言いました。


*6 自己愛と世俗愛に属す欲望は、平和をまったく取り去る(3170, 5662)。
ある者は平和を騒動(不安)にし、そして平和に反するようなものにする(5662)。
悪の欲望が取り去られないなら、平和は与えられない(5662)。