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天界と地獄345

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345 幼児期に死ぬ者とおとなで死ぬ者の相違がどんなものかも述べます。
おとなで死ぬ者は、地的で物質的な世界から獲得した面を自分自身に持ち、抱いています。
この面は彼らの記憶とその身体的な自然的な情愛です。これは不変のまま残り、活動は停止しますが、それでも、死後、彼らの思考の最終面として仕えます、なぜなら、その面の中に思考が流入するからです。
ここから、死後、人間がどのようなものであるかは、その面がどのようであり、そこにある理性的なものと、どのように対応するかによっています。
けれども、幼児期に死んで天界で教育される幼児は、このような面を持っていません、物質的な世界と地的な身体から何も得ていないので霊的な自然的な面を持っています――それゆえ、このように粗野な情愛とそこからの思考の中にいることはできません。なぜなら、彼らはすべてのものを天界から得るからです。
さらに、幼児は世で生まれたことを知りません。それで自分たちは天界で生まれたと信じています。そこから、善と真理の知識によって、また知性と知恵によって生じる霊的な出生以外の他の出生がどんなものか知りません。この霊的な出生から人間は人間であって、これは主からのものであるので、彼らは自分たちが主ご自身のものであることを信じ、またそのことを愛しています。
しかし、地上で成長する人間の状態でも、もし彼らが自己愛と世俗愛である身体的で地的な愛を遠ざけ、それらに代わって霊的な愛を受け入れるなら、天界の幼児の状態と同じように完全になることができます。