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天界と地獄396

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396 すべての快さは愛から流れ出ます、なぜなら、人間は愛するものを快いと感じるからです。だれも別のところに快さはありません。ここから、快さは愛がどのようなものかによる、といえます。
身体のまたは肉の快さのすべては、自己愛と世俗愛から流れ出ており、ここから、肉欲とその快楽も存在します。けれども、霊魂のまたは霊の快さのすべては、主への愛と隣人に対する愛から流れ出ており、ここから、善と真理への情愛、そして内的な幸せも存在します。
前者の愛はその快さとともに肉からまた世から外なる道を通って、下にあるものから流入し、外的なものに働きかけます。けれども、後者の愛はその快さとともに主からまた天界から内なる道を通って、上にあるものから流入し、内的なものに働きかけます。
そこで、天界のそれらの二つの愛がどれだけ受け入れられ、どれだけ働きかけるかによって、それだけ霊魂のまたは霊のものである内的なものが開かれ、世から天界に目を向けます。けれども、世のそれらの二つの愛が受け入れられ、働きかけるほど、それだけ身体のまたは肉のものである外的なものが開かれ、天界から世に目を向けます。
愛が流入し、受け入れられるかぎり、同時にそれらの快さもまた、内的なものには天界の快さが、外的なものには世の快さが、流入します。すでに言われたように、すべての快さは愛のものであるからです。