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天界と地獄 430

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430. それぞれの人間のもとにもまた二つの門があり、その一つは地獄に向けて、悪とそこからの虚偽に開いています。もう一つの門は天界に向けて、善とそこからの真理に開いています。
地獄の門は悪の中とそこから虚偽の中にいる者に開かれていて、上から隙間を通るほどの、いくらかの光が天界から流入し、その流入によって人間は考え、推論し、話すことができます。けれども、天界の門は善とそこからの真理の中にいる者に開かれています。
というのは、人間の理性的な心へ導く二つの道があるからです。高いあるいは内なる道は、それを通って主から善と真理がやって来ますが、低いあるいは外なる道は、それを通って地獄から悪と虚偽が忍び込みます。
理性的な心そのものは真ん中にあって、そこへそれらの道が向かっています。ここから、天界から光が入れば入るほど、それだけ人間は理性的です。けれども、入らないなら、どれほど自分自身が理性的に見えても、理性的ではありません。
さらにまた、人間に天界や地獄とどのような対応があるか知られるために次のことが言われました――
人間の理性的な心が形作られている間、その心は霊たちの世界に対応し、その心の上にあるものは天界に、下にあるものは地獄に対応する――天界に向けて準備されている者には、その上にあるものが開かれ、彼のもとへ流入する悪と虚偽に対して、その下にあるものは閉ざされる。しかし、地獄に向けて準備されている者には、その下にあるものが開かれ、彼のもとへ流入する善と真理に対して、その上にあるものは閉ざされる――ここから、前者は自分自身の上しか眺めることができない、すなわち、天界に目を向ける。後者は自分自身の下しか眺めることができない、すなわち、地獄に目を向ける。
自分自身の上を眺めることは、主に目を向けることです、その方は共通の中心であられるので、天界のすべての者がそこへ目を向けます――しかし、自分自身の下を眺めることは、主から後ろ向きに目を向けることです、地獄のすべて者はそこへ目を向け、向かいます(前の123, 124番参照)。