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天界と地獄 482

 

482. (iv) 信仰は、天界的な愛からのものでないなら、人間に残らないことは、もしそれらの事柄について私が見て、聞いたことが提示されるなら、一冊の本を満たすほどの多くの経験によって私に明らかにされました。
私は、天界的で霊的なものがなくて身体的で世俗的な愛の中にいる者には、まったく何も信仰がなく、与えられることもできず、自分自身の愛に仕えるので、ただ真理であることの知識または信念があるだけであることを証言することができます。
自分は信仰の中にいると思っていた者から多くの者が、信仰の中にいる者のところへ連れて来られました。そして〔彼らの間で〕伝達が与えられた時、自分たちに何も信仰がないことを知覚しました――また真理やみことばをただ信じるだけでは信仰ではなく、天界的な愛から真理を愛し、内的な情愛からそれを欲し、行なうことが信仰であると告白することもできました。
さらにまた、彼らが信仰と呼んだその信念は、ただ冬の光のようなものであることも示されました。その中には熱がないので、地上のすべてのものは凍るような寒さに縛られて不活発になり、雪の下に横たわります。それゆえ、彼らのもとの間違った信念の信仰の光は、天界の光線に打たれると直ぐさま消えるだけでなく、濃い暗黒のようにもなり、その中ではだれも、自分自身すら見えません。その時、同時に、内的なものは、まったく何も理解しないほどに暗くなり、ついには虚偽から狂います。
それゆえ、このような者のもとで、彼らがみことばと教会の教えから知り、自分たちの信仰であると言ったそれらのすべての真理は取り除かれ、それらに代わって、彼らの生活の悪と一致するすべての虚偽を教え込まれます。すべての者は自分自身の愛の中に、それらと一致する虚偽の中に入れられるからです――その時、彼らの中にある真理は、悪の虚偽に抵抗するので、憎まれ、退けられ、こうして捨てられます。
私は、天界と地獄の事柄についてのすべての経験から、「教えから信仰のみを告白し、生活に関しては悪の中にいたすべての者は地獄にいる」ことを証言できます。私は数千人もの地獄に投げ込まれる者を見ました、そのことについては小著『最後の審判と滅ぼされたバビロニア』の中で述べてあります。