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天界と地獄 484

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484. すべての働きと行為は、道徳的で市民的な生活に属し、ここから誠実と正直に、さらに公正と公平に目を向けているものであることを知らなくてはなりません。

誠実と正直は道徳的な生活に、また公正と公平は市民的な生活に属します。
それらが行なわれるときの愛は、天界的かあるいは地獄的です――道徳的で市民的な生活の働きと行為は、天界的な愛から行なわれるなら天界的です。なぜなら、天界的な愛から行なわれるものは、主から行なわれ、主から行なわれるものは、すべて善であるからです。しかし、道徳的で市民的な生活の働きと行為は、地獄的な愛から行なわれるなら地獄的です。なぜなら、自己愛と世俗愛である愛から行なわれるものは、人間自身から行なわれ、人間自身から行なわれるものは、すべては本質的に悪であるからです。本質的に見られた人間は、すなわち、彼のプロプリウム(固有のもの)から見られるなら、悪以外の何ものでもないからです(*6)


*6 人間のプロプリウムは神よりも自分自身を、また天界よりも世を愛することである。そして自分自身と比べて隣人を無とすること、このように自己愛と世俗愛である(694, 731, 4317)。
このプロプリウム中に人間は生まれており、それは執拗な悪である(210, 215, 731, 874-876, 987, 1047, 2307, 2308, 3518, 3701, 3812, 8480, 8550, 10283, 10284, 10286, 10732)。
人間のプロプリウムから、すべての悪だけでなく、すべての虚偽もまたある(1047, 10283, 10284; 10286)。