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天界と地獄 499

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52 人間の死後の第二の状態

499 人間の死後の第二の状態は内的なものの状態と呼ばれます。なぜなら、その時、彼の心(mens)に属すもの、すなわち、意志と思考に属す内的なものの中に入れられ、彼の最初の(第一の)状態の中にあった外的なものは眠るからです。
だれでも人間の生活に、その発言と行為に留意する者は、それぞれの者のもとに外的なものと内的なものが、すなわち、思考と意図の外的なものと内的なものがあることを知ることができます。
このことは次のことから知ることができます――市民的な生活の中にいる者は、他の者について、その者について聞き、知った評判からあるいは交際から考えます。それでも、〔その〕自分の考えにしたがって彼らと話すことはしません、またたとえ悪い者であっても、やはり彼らに礼儀正しく振る舞います。
このようであることは、偽り装う者やおべっか使いから、特によく知られます。彼らは、考え、意志することとはまったく異なって、話し、振る舞います。また、神・天界・魂の救い・教会の真理・祖国の善・隣人について、信仰と愛からのように話す偽善者から明らかです。そのとき、彼らは、それでも心で他のことを信じ、自分自身だけを愛しています。
[2]これらから、一つは外的な、もう一つは内的な、二つの思考があることを明らかにすることができます。外的な思考から話し、内的な思考から他のことを感じます。そしてこれら二つの思考は分離しています。なぜなら、それらの二つの思考は、内的なものが外的なものの中に流入し、そして何らかの方法で現われないように用心されているからです。
人間は創造から、内的な思考が外的な思考と対応によって一つとして働くように造られています。そしてまた、善の中にいる者のもとで一つとして働きます――なぜなら、彼らは善以外に考えず、善を語るからです――しかし、悪の中にいる者のもとで、内的な思考は外的なものと一つとして働いていません。なぜなら、彼らは悪を考え、善を語るからです――これらの者のもとで、秩序は逆転しています。なぜなら、彼らのもとでは善が外に、悪が内にあるからです。ここから、悪は善を、自分のしもべのように従属させ、自分の愛のものである目的を得るための手段として、自分に仕えさせるようにして、支配しています。
このような目的が、〔彼らが〕話し、行動することの善に内在するので、彼らのもとの善は、内的なものを知らない者のもとの外なる形の中でどれほど善のように見えても、善ではなく、悪に感染したものであることが明らかです。
[3]善の中にいる者のもとでは異なります――彼らのもとで、秩序は逆転していないで、善が内的な思考から外的なものの中に、こうして発言と行為の中に流入します。
この秩序の中に人間は創造されています――なぜなら、このように彼らの内的なものは天界の中に、そこの光の中にあるからです。天界の光は主から発出する神的真理であり、したがって、天界の中の主であるので(126-140番)、それゆえ、彼らは主により導かれます。
これらのことが言われたのは、それぞれの人間に内的な思考と外的な思考があること、それらは互いに別ものであることが知られるためです。思考が言われるとき、意志もまた意味されます。なぜなら、だれも意志なしに考えることはできないので、思考は意志からのものであるからです。
これらから、人間の外的な状態と内的な状態が何か明らかです。