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天界と地獄 523

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523 主は秩序であられるので、決して秩序に反して何も行なわれません。
主から発出する神的真理は秩序をつくるものであり、そして神的真理は秩序の法則であり、その法則にしたがって、主は人間を導かれます。
それゆえ、直接の慈悲から人間を救うことは神的秩序に反しており、神的秩序に反していることは、神的なものに反しています。
神的秩序は人間のもとの天界であって、それを人間は自分のもとの神的真理である秩序の法則に反した生活によってゆがめてしまいました――人間は主により純粋な慈悲から、秩序の法則によって、その秩序の中へ戻され、戻されれば戻されるほど、それだけ自分の中に天界を受け入れ、天界を自分の中に受け入れる者は、天界にやって来ます。
ここから再び、主の神的慈悲は純粋な慈悲であって、直接の慈悲ではないことが明らかです (*1)


*1 主から発出している神的真理は、秩序が存在するもとであり、神的善は秩序の本質的なものである(1728, 2258, 8700, 8988)。
ここから、主は秩序であられる(1919, 2011, 5110, 5703, 10336, 10619)。
神的真理は秩序の法則である(2447, 7995)。
全天界は主によりその方の神的秩序にしたがって配列されている(3038, 7211, 9128, 9338, 10125, 10151, 10157)。
ここから、天界の形は神的な秩序にしたがった形である(4040-4043, 6607, 9877)。
人間が秩序にしたがって、そのように神的な真理にしたがって善の中に生きれば生きるほど、それだけ自分自身の中に天界を受け入れる(4839)。
人間はその中に神的秩序すべてのものが集められたものであり、創造から形において神的秩序である、その受け入れるものであるからである(3628, 4219, 4220, 4223, 4523, 4524, 5114, 5368, 6013, 6057, 6605, 6626, 9706, 10156, 10472)。
人間は善と真理の中に生まれていないで、悪と虚偽の中に、そのように神的秩序の中にでなく秩序に反したものの中に生まれている。ここから、無知そのものの中に生まれている。それゆえ、必然的に新たに生まれることが、すなわち、再生することが必要であり、そのことは秩序に戻されるようにと、主からの神的真理によってなされる(1047, 2307, 2308, 3518, 3812, 8480, 8550, 10283, 10284, 10286, 10731)。
主が人間を新たに形作られるとき、すなわち、再生させられるとき、彼のもとのすべてのものは秩序にしたがって、天界の形に配列される(5700, 6690, 9931, 10303)。
悪と虚偽は秩序に反している。それでもそれらの中にいる者は、主により、秩序にしたがってではなく、秩序から支配されている(4839, 7877, 10777)。
悪の中に生きる人間が、慈悲だけから救われることができるのは不可能である、このことは神的秩序に反するからである(8700)。