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天界と地獄 571

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571 自己愛と世俗愛からのものである悪を行なう欲望が、「地獄の火」によって意味され、このような欲望は地獄の中のすべての者にあるので(これまでの章参照)、それゆえ、地獄が開かれるとき、火災でよくあるような、煙と一緒になった火のようなものもまた見られます。自己愛が支配する地獄からは濃い火が、世俗愛が支配する地獄からは炎が見られます。
けれども、閉ざされるとき、そこに火は見えませんが、代わってそこに、煙から濃くなった暗いようなものが見えます――それでも、火はその内部で燃えていることが、そこから出てくる熱からわかります。その熱は、火災の後に燃えているような、あるところでは熱くなっている炉からのような、また他のところでは浴室の温かさからのようなものとなっています。それでもその熱さが人間のものに流入するとき、欲望をかきたて、悪い者のもとでは憎しみと復讐を、病人のもとでは狂気をかきたてます。
前述の愛の中にいる者には、自分の霊に関して、さらにまた身体の中で生きたとき、それらの地獄に結び付けられているので、このような火あるいは熱があります。
しかし、地獄にいる者は火の中にいないで、火は外観であることを知らなくてはなりません。そこの彼らは何かが燃えることを感じないで、ただ以前、世にあったような熱を感じるだけであるからです。
火が見られるのは、対応からです。なぜなら、愛は火に対応するからです――霊界の中で見られるすべてのものは、対応するものにしたがって見られます。