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天界と地獄 602

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602 最後に、死後のいのちについて、天界から人間のもとへ流入から存在する生来のものについて述べておくべきでしょう。
世で信仰の善の中に生きた庶民である単純な者がいました――彼らは世にいたときと似た状態にされました。このことは、主が許されるとき、だれにもなされることです。その時に、人間の死後の状態について、どのような観念をもっていたか示されました。
彼らは、自分たちは世で知的であった者に、「世での生活の後の自分の魂についてどう考えているか」と質問され、「魂が何であるか、知らない」と答えました。
さらに、「死後の自分の状態について何を信じているのか」と質問され、「霊として生きると信じている」と答えました。
その時、「霊についてどのような信念を持っているか」と質問され、「人間である」と答え、「どこからこのことを知っているのか」と質問され、「そうであるから、そうであると知っている」と答えました。
知的であった者は、「このような信仰が単純な者にあったこと、自分たちにないことに驚いた」と言いました。
ここから、天界と結合しているそれぞれの人間に、死後の自分のいのちについて生来のものがあることが明らかです。
この生来のものは、天界からの流入から、すなわち、主により天界を通して、霊たちの世界から人間に接合している霊によるもの以外のものではありません。生来のものは、人間の霊魂についてつくられた原理やいろいろな確信によって考える自由を消滅されなかった者のもとにあります〔このことも述べておくべきでしょう〕。その原理や確信とは、「霊魂とは純粋な思考である、あるいは何らかの生気に満ちた原理である」と言って、その座を身体の中に捜すことです。そのときそれでも、霊魂は人間のいのち以外のものではなく、霊は人間そのものであり、世で持ってまわった地的な身体は単なる装備品であって、人間そのものである霊はそれによって自然界に適して行動します。