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流入について

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流入について

[5]人間が考え、意志するすべてのものは流入する。経験から(904, 2886-2888, 4151, 4319, 4320, 5846, 5848, 6189, 6191, 6194, 6197-6199, 6213, 7147, 10219)。
人間が物事を観察し、考え、分析的に結論することができるのは流入からである(4319, 4320, 5288)。
もし霊界からの流入が人間から取り去られるなら、人間は一瞬も生きることができない。経験から(2887, 5849, 5854, 6321)。
主から流入するいのちは、人間の状態にしたがって、受け入れにしたがって変化する(2069, 5986, 6472, 7343)。
主から流入する善は悪い者のもとで悪に、そして真理は虚偽に変化する。経験から(3642, 4632)。
悪と虚偽が妨害しなければしないほど、それだけ絶えず主から流入している善と真理を受け入れる(2411, 3142, 3147, 5828)。

[6]すべての善は主から、そしてすべての悪は地獄から流入する(904, 4151)。
今日、人間はすべてのものが自分自身の中に存在し、自分自身から存在すると信じているが、それでも流入しているのであって、このことを、すべての善は主から、すべての悪は地獄から存在することを教える教会の教えの事柄から知らなければならない(4249, 6193, 6206)。
しかし、もし人間がその教えの事柄を信じるなら、その時、悪を自分自身に自分のものとしないし、善も自分自身のものとしない(6206, 6324, 6325)。
もしすべての善は主から流入し、すべての悪は地獄から流入すると信じるなら、どれほど人間の状態は幸福であるか(6325)。
天界を否定する者、あるいはそれについて何も知らない者は、そこから何らかの流入があることを知らない(4322, 5649, 6193, 6479)。
流入とは何か、比較による説明(6128, 6190, 9407)。

[7]いのちのすべては、いのちの「最初の源泉」から流入する。ここからであり、そのように主から絶えず流入するからである(3001, 3318, 3337, 3338, 3344, 3484, 3619, 3741-3743, 4318-4320, 4417, 4524, 4882, 5847, 5986, 6325, 6468-6470, 6479, 9276, 10196)。
流入は霊的であって、物質的ではなく、したがって流入は霊界から自然界の中へであり、自然界から霊界へではない(3219, 5119, 5259, 5427, 5428, 5477, 6322, 9110)。
流入は内なる人を通して外なる人へ、すなわち、霊を通して身体の中へであり、逆ではない。人間の霊は霊界にいて、身体は自然界にあるからである(1702, 1707, 1940, 1954, 5119, 5259, 5779, 6322, 9110)。
内なる人は霊界の中にいる、外なる人は自然界の中にいる(978, 1015, 3628, 4459, 4523[?] 4524[?] 6057, 6309, 9701-9709, 10156, 10472)。
人間のもとの外なるものから内なるものへの流入があるように見える、それは〔感覚の〕欺きである(3721)。
人間のもとの理性的なものの中へ、またそれを通して記憶知の中への流入がある、その逆ではない(1495, 1707, 1940)。
流入の秩序はどんなものか(775, 880, 1096, 1495, 7270)。
主から直接の流入があり、そしてまた霊界あるいは天界を通して間接の流入がある(6063, 6307, 6472, 9682, 9683)。
主の流入は人間のもとの善の中へ、善を通して真理の中へである、けれども、その逆ではない(5482, 5649, 6027, 8685, 8701, 10153)。
善は主からの流入を受け入れる能力を与える、けれども善のない真理は与えない(8321)。
思考の中に流入するものは何も害さないが、意志の中に流入するものは、人間に自分のものとされるので、害する(6308)。

[8]全般的な流入が存在する(5850)。
それは秩序にしたがって活動する絶え間のない努力(コナトゥス)である(6211)。
動物のいのちの中へその流入がある(5850)。
そしてまた植物界の対象物の中へある(3648)。
さらにまた全般的な流入にしたがって、人間のもとの思考は話し方の中へ、意志は行動と振る舞いの中に落ち込む(5862, 5990, 6192, 6211)。