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最後の審判 33

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(6)最後の審判は教会が終わる時に起こる
仁愛がないので信仰のない時が教会の終わりの時である

33 教会が終わりである時、最後の審判が起こることには多くの原因があります。おもなものは、その時、天界と地獄の間の均衡が失われ、均衡とともに人間の自由そのものが失われ始めることです。人間の自由が失われるとき、その時、もはや救われることができません。というのは、その時、自由〔な状態〕から地獄へ運ばれ、また自由の中でなくては天界へ導かれることができないから。なぜなら、自由なしにだれも改心されることができず、天界と地獄の間の均衡から人間のすべての自由があるからです。このようであることは著作『天界と地獄』の二つの章から明らかにすることができます――そこの「天界と地獄の間の均衡について」(589–596番)、「人間は天界と地獄の間の均衡によって自由の中にいること」(597–603番)、そしてまた、そこに、だれも自由の中で以外に改心されることができないことが扱われているところです。