最後の審判 35
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教会の終わりがもはや教会内に信仰がない時であることは、みことばからよく知られています、しかし、もし仁愛がないなら、何らかの信仰がないことはまだよく知られていません。そのために、この事柄の何らかのものについて今から続くものの中で述べます。
教会の終わりの中で何も信仰がないことは、主により予言されています、
人の子がやって来たとき、その方は地に信仰を見つけるでしょうか?(ルカ18:8)。
そしてまた、その時、何も仁愛がないことは、世代の完了の中で、
不法は増し加えられ、多くの者の仁愛は冷えます。その福音が全地の世界に宣べ伝えられます……その時、終わりがやって来ます(マタイ24:12, 14)。
世代の完了とは教会の最後の時です。
その章の中で主により、愛と信仰に関して、教会の継続的な衰退の状態が述べられています、しかし、そこに対応そのものによって述べられています。それゆえ、そこに主により予言されているそれらは、そこの個々のものに対応する霊的な意味が知られないなら、理解されることができません。そのために、私に主によりその章の中のすべてのものを、また続く章の中で言われている何らかのものを説明することが与えられました。世代の完了、その方の来臨、そして教会の継続的な荒廃について、また最後の審判についてであり、それらは『天界の秘義』に見られます(3353–3356, 3486–3489, 3650–3655, 3751–3757, 3897–3901, 4056–4060, 4229–4231, 4332–4335, 4422–4424, 4635–4638, 4661–4664, 4807–4810, 4954–4959, 5063–5071番)。